ラジオヤジ 最新日記

2014年4~8月の日記です

 日記は、新しいものから古いものへ、という順番で並んでいます。

ミキサー故障(しかも生産終了) [2014年12月29日]

 動画&ライブ活動に復帰すべく準備しているのだが、ライブで使っていたミキサーに久しぶりに電源を投入したところ、壊れていることが判明した。

 エフェクトの回路が壊れているようで、通常点灯するエフェクトのタイプを示す赤い数字のランプが点灯しない。エフェクトもかからない。あああ。
 そういえば前から、たびたび不安定だったっけ。

 壊れたミキサーは、Phonicという台湾のオーディオ機器メーカーの「AM442D」という機種なのだが、修理についての情報がないかとメーカーのホームページを見たら、なんと、このミキサー「生産終了」とある。
 やばい、もう買えないのか?

 ホームページには修理の情報がなかったので、買ったお店に聞いてみたが、年始にならないとメーカーと連絡が取れないから、修理についての詳細はわからない、とのことだった。

 修理ができるものなら、したいけど、修理できるかどうかも、費用も、期間もわからないので、アマゾンで新しいものがないか探してみたら、なんと2万円という特価品を発見。
 以前買ったときは約3万円だったはず。生産終了だから特価なのかな? 

 というわけで、2台目のAM442Dを注文した。
 表現活動には何かとお金がかかるが、とりあえず、使い慣れたミキサーが確保できてよかった。

動画とライブ活動に復帰すべく準備中 [2014年12月28日(日)]

 メルマガにも書いたのだが、そろそろ、動画とライブ活動に復帰しようと思っていて、今、その準備をやっている。

 今日はこれから、ライブのセッティングをやろうと思っている。
 具体的に言うと、ライブ用にと購入したPCを起動して、今日届いたモニタを接続する。そして、活動に必要なソフトをインストールし、ミキサーをつないで、音がどうかチェックする。そんな作業を予定している。

 今年は「仕事中心」の1年だったが、少々、働き過ぎて疲れてしまった部分がある。
 しかも、今年の仕事は、まだ終わっておらず、お正月返上って感じで取り組まなければならない大量の事務処理が残っている。

 その残務の合間を縫って、音楽&表現活動に復帰しようってわけだが、準備が思うように進まず、復帰が遅れる可能性も高い。
 でも、やはり、仕事ばかりで音楽&表現活動から離れると調子が悪くなる。バランスが崩れてしまう。心が乾いてしまう。

 だいたい、いつでも僕はやりたいことが多すぎて、うまくこなせないというパターンになりがち。
 まあ、それも仕方がない。性分ってやつだからね。
 できる範囲でやるさ。時間がかかってもいいさ。

 とにかく、しゃべりたいし歌も歌いたい。
 リスナーの皆さんとの再会も楽しみ。
 今、そんな感じで動いている。

もうすぐ55歳 [2014年8月20日(水)]

 むかしむかし、まだ二十代だった頃。僕は55歳になったら仕事をやめるんだと決めていた。その頃から僕は自営業者だったから、退職とか定年とかではなく、自分で仕事をやめるという意味である。
 その55歳があと2日後に迫っている。
 いやー、結構生きたもんだね。

 で、今はどうなの? と言えば、「仕事をやめるなんてとんでもない!」という心境である。
 仕事はもちろん試練ではある。しかし同時に喜びであり、これをやめてしまうなんて考えられない。
 それどころか、最近の僕は、あんな仕事もしたい、こんな仕事もしたいと、いろんな仕事のアイデアが止まらず、これからやりたい仕事のことを考えるとワクワクする、という状態が続いている。

 いやー、この状態は我ながら、ちょっと信じられない。
 現実に自分が55歳を目前にして、こんな(仕事をやめたくない+新しい仕事に着手したいという)心境になっているとは。

 今、下の6月1日の日記を読んで大笑いしていたのだが(こんな文章を書いたこと自体忘れていた...)、結局人間、「未来なんてわからない」ということだ、と思う。
 そう。明日生きているかどうかもわからない。それが人間なのだから、僕は目の前の今日という一日にひたすら集中して、できることにせいいっぱい取り組もうと思う。

皆様のご期待にお応えできない人間 [2014年6月1日(日)]

 Web上で活動している人たちの中には「継続」ということを、とても重視している人が多いように思う。
 たとえばYouTubeで動画投稿を始めたら、「1日1本は動画を上げる」と決めてやりぬく、ツイキャスでライブを始めたら、「かならず毎日オンエアする」といったように。

 一方、僕はといえば「超いいかげん」である。
 いったんは「YouTubeに毎日動画を上げます!」なんて宣言していたのに、簡単にその宣言を反故にしてサボり、今年に入ってからは、YouTubeの動画投稿活動は実質「お休み中」になっている。

 また、「ライブ命のラジオヤジ!」とか言っちゃって、YouTubeやツイキャスでライブ活動を始めたのに、この6月からは「ツイキャスのライブは不定期配信にします」などと、こちらも方針転換。
「ライブ命や言うてたやん!」と突っ込まれるのは必至であり、僕のライブを楽しみにしてくれていたリスナーさんには、申し訳なく思っている。
 でも僕は、こんな自由なスタイルでしか生きられないんだよね。
 
 ただ、いったん「やる」と決めたことは、僕なりに「やりきる」ようにはしている。
 ツイキャスのライブも2013年の10月22日から始めて、体力的にしんどくなって2度ぶったおれながらも、半年以上にわたって、できる限り毎日続けてきた。
 だから僕には、僕なりに「やりきった感」がある。

 本も10数冊書いた(それぞれ、やりきった)し、雑誌の連載も5年以上続けた(やりきった)し、投資用ソフトも2種類を作りきって販売している。音楽も何曲も完成させてきた。

 この5月、ふと自分の中に「違和感」が生じ、自分と対話したら、こいつ(自分)が「新しい投資用ソフトが作りたい」と言うので、「じゃ、やろう」と、作ることに決めた。
 ソフト開発は、ものすごく時間がかかる仕事だし、こいつ(自分)は「音楽の創作活動は平行して続けたい」とも言うので、時間的なバランスを考えてライブの「不定期化」を決めた。

 ああ、僕は結局、「皆様のご期待にお応えできない人間」なのだ。(笑)
 だから、嫌われるし、批判されるし、悪口も言われる。それは仕方のないことだと思っている。

 今後も僕は変化するだろう。どう変化するのかは、実は僕にもわからない。
 皆様にはどうか、そんな僕の変化を、あきれながら、批判したり悪口言ったりしながら、楽しんでいただければと思う。

はじめての合唱曲 [2014年5月25日(日)]

 昨日、初めての合唱曲を楽譜に仕上げ、合唱仲間に、そのできたばかりの楽譜を見せた。
 僕の同級生でもあり某(K)有名音大を出ているM君(合唱団の指導者)が、すぐにピアノで音を出してくれた。混声四部合唱の楽譜を、初見でいきなり弾いてしまうのだからすごい。

 M君の感想は、
「うーん。この曲、コンサートのあとのアンコールで歌ったら、会場がほんわかしていいかもね」
 というものだった。
 ちなみに、「うーん」というのは彼の口癖である。(笑)

 僕が「合唱曲を作りたい」と考えたのは高校2年の時だったから、40年近くも前の話。
 今、ようやくその夢が形になってきたわけで、
「カメでも、僕の100倍は速いだろう」というレベルの遅い遅い行動である。

 このあと3曲ほどをいろんなアレンジで仕上げて、とりあえず地元の合唱団に「歌っていただけませんか?」と「営業」をかけるつもりだ。(笑)
 僕の夢は、自分の曲をどこかの合唱団に歌ってもらうこと。
 いつか、この夢が叶うといいんだけど。

戦わなくていい [2014年5月23日(金)]

 今年に入ってから、ほぼ毎日、このサイトで日記を書いてきたが、この5月から仕事の分野でやることが増えており、バランスを取るためにツイキャスの時間を減らし、この日記も不定期更新にすることに決めた。

 このあと自分の感覚がどうなるかを予想することは難しいが、とりあえず今は、投資用ソフトの開発といった本業の「投資分野」にかかわるクリエイティブな活動がやりたくなっているので、そちらを進めている。
 かと言って音楽がお留守になっているわけでもなく、毎日、楽器や歌の練習や作曲も続けている。

 以前は、「音楽は仕事の敵だ」と感じたり、逆に時期によっては「仕事は音楽の敵だ」と感じたりする自己矛盾の中で苦しむことが多かった。
 しかし結局、僕はどちらもやりたいわけで、今は、そのときどきの「自分がやりたいこと」を否定せず、また、「いろいろなことがやりたい自分」や「急に何かを始めたくなる自分」を責めることもせず、時間と相談しながらバランスを取ってやっていこうと思っている。

 実際、かなりバランスがよくなってきたように感じているが、おそらく「理想のバランス」などなくて、日々、せいいっぱいやれることをやるしかないのだろう。

 さきほど書いたように、僕の中ではこれまで、よく音楽と仕事が戦っていた。
 しかし今、自分の中に「音楽と仕事との戦い」はない。
 これは、僕が人と戦わなくなったことと無関係ではないだろう。

 人と戦う必要もないし、自分と戦う必要もない。
 この当たり前のことに気づくまでに、こんなに時間がかかるとは。
 ともあれ、生きているうちに気づけてよかった。

カエルちゃん達の悲劇 [2014年5月21日(水)]

 この季節、雨の日の夜に、クルマで田舎道を走るのは大変。
 田舎の道は、田んぼの真ん中を走るような配置になっているので、もうね、カエルちゃんが大変なわけよ。

 どういうことかって言うと、カエルちゃんたちが、どんどん道路に飛び出てきて悲劇が起こり、あちこちにその悲劇の残骸が散乱。

 飛び出してきたカエルちゃんを避けようとして急ハンドルを切り、危ないこともある。
 翌日に晴れると、その残骸が、せんべいみたいな感じになるわけだけど、これ、あまり見たくない。

 僕は個人的にカエルが好きなだけに辛いっす。 

ブラザー vs OKI のプリンター対決 [2014年5月20日(火)]

 先週から「カラーレーザープリンタ」が欲しくなり、導入することに決めて機種選びを続けてきた。

 僕の場合、小冊子を作るので両面印刷機能が必須だ。となると、メーカーはブラザーかOKI(沖)の2社にしぼられることがわかった。
 かくして「ブラザー vs OKI」のプリンター対決が始まった。

 当初、僕はブラザーを買うつもりだった。しかし、よく調べるとブラザーのプリンタはA4サイズ以外の両面印刷に対応していないことがわかった。あちゃー。
 僕の場合、A5サイズやB5サイズの小冊子を作る可能性が高いので、これは致命的だ。
 この時点で、OKIがブラザーをかなり引き離してリード。
 OKIのプリンタに5年保障が着いているのもアドバンテージだった。

 さらに、両社から印字サンプルを取り寄せて比較したり、お店で実物を見たり、ネットで「評判」を調べたりして検討を続けた結果、最終的に

・OKI C531dn

 というプリンタを買うことに決定。本日発注した。
「ブラザー vs OKI」のプリンター対決は、OKIの勝ち、という結果になったわけだ。

 ちなみに最終的な発注はアマゾンだった。メーカー保証が5年なので、アマゾンで買おうが家電店で買おうが、あまり違いはないから、自宅でアマゾンにアクセスして発注。
 見に行っただけだったが(店員さんに説明してもらったわけではないが)、家電店さんごめんなさい。

 僕と同じような感じで、家電店に実物を見に行っても最終的にはネットで買う「ショールーミング」をする人が増えているのだろう。

僕には仕事と遊びの区別がない [2014年5月19日(月)]

 僕がこの日記に「このあとは少し本業に回帰したい」と書いたところ、リスナーさんから、「では、これから大変になりますね」といったニュアンスのメールをいただいた。

 これはたぶん、
「YouTubeやツイキャスは遊びだから楽しかったでしょう。しかし、これから仕事となれば大変ですね」という意味で、気遣ってくださっている内容なのかな、と感じた。

 ところが僕にとっては、YouTubeでの活動もツイキャスでのライブも、歌の練習も作曲も仕事も、ほとんど感覚的に変わらないのである。
 つまり、やっているときは、それぞれの活動に真剣に打ち込んでいるし、それぞれの活動が、とても面白く楽しい。
 しかし同時に、それぞれの活動には大変な部分もあると感じる。

 そもそも僕の生活には「ここまでが仕事」「ここからは遊び」という「線」がない。毎日の生活でも何時までが仕事で、何時からは遊びといった区別はなく、起きたら寝るまで、ただひたすら活動している。

 僕には曜日感覚もない。体が動く限り土日祭日でも、何か興味のあることに打ち込んでいる。
 自分が今「仕事をしている」とか「遊んでいる」という区別を意識することはない。

 それはどこかに旅行に行ったり、遊びに行ったりしているときでも同じで、遊びながらもアイデアを練り、目に入ってくるものを観察し分析しているから、それは仕事かもしれないのである。

 おそらく自分でビジネスをしている人たち(起業家)の多くが、僕と同じような感覚で生活しているのではないか、と思う。

本業とのバランスを見直す [2014年5月18日(日)]

 2011年11月からYouTubeを始め、2年後の2013年10月末からはツイキャスを始め、この2年半ほど僕は、動画やライブに音楽といった表現活動を中心に生活してきた。
 僕の本業は投資や起業のアドバイザーだが、正直、表現活動にのめり込みすぎたきらいがあり、本業が少々おろそかになっていた。
 ...というか、このホームページの自己紹介にも書かれているように、半分(いや多分70%ぐらい)リタイアしたような状態だった。

 この5月に入って、このあたりが僕の脳内で「ぎくしゃく」し始めたので、僕は真っ白なA4用紙(ファイルできるよう30穴を開けてある)を机の上に積み上げてペンを走らせ、アイデアを出したり、やりたいことをアタマの中で整理したりしながら、総合的に自分の生活を見直す作業をしていた。

 その「生活見直し作業」で、僕の「きったない(汚い)」文字が書かれたA4用紙が100枚近くファイリングされる中、しだいに「これからやりたいこと」が浮かび上がってきた。

 それは意外にも新たな投資用ソフトの開発や、投資教室の開講など、いくつかの本業のプロジェクトだった。ちょっと驚いたが、
「そうか、僕はまた本業がやりたくなってきているんだ。全体のバランスが崩れていた(表現活動に傾き過ぎていた)から、ぎくしゃく感があったんだ」と気づいた。

 僕は今、
「このあとは本業とのバランスをとりながら表現活動を続けて行こう」と考えている。
 具体的には、例えばツイキャスの回数や時間を減らすなど、ゆるやかに表現活動の比率を下げることになりそうだ。
 自分と相談しながら、うまくバランスをとりたい。

僕はアイデアで生きている [2014年5月17日(土)]

 僕はとにかくいろいろなものを作りたくなる。
 この半年間はツイキャスで毎日ライブをやってきたが、やはり僕はパフォーマーではなく、クリエイターなんだろうと思う。

 今、久しぶりにソフトを作りたくなっているが、かつて僕には「ソフトはもうダメだろう」と考えた時期があった。
 しかし今は「ソフト開発もアイデアしだいで、まだ行ける」が正解だろうと思っている。

 世の中には「知識」で生きている人が多いのかもしれない。「学歴」で生きている人たちと言い換えてもいいだろう。
 その一方で「アイデア」で生きている人たちもいる。学歴や学校の勉強とは無関係に、独自のアイデアを出すことで生きている人たちだ。

 僕は間違いなく後者である。
 だからこそ、いかにしてアイデアを出すかということが重要になる。

 僕はたくさん本を読むが、実は僕にとって読書は、なかなかに難しい作業だ。
 というのは1ページ読むとアイデアが出て、それを書き留める、2ページ進むとまたアイデアが出て、それを書き留める、という作業になってしまうからだ。
 つまり「読書」が、いつのまにやら「アイデア開発」の時間になってしまうから読書が進まない場合が多いのだ。
 しかし、これが僕にとっての正解だし、どうあがいても、こういう本の読み方しかできないから仕方がない。

 この週末も、きままに過ごしつつアイデアを出そうと思っている。
 人は僕を見て、「読書している」とか「ぼーっとしている」とか「テレビを見ている」とか「コーヒーを飲んでいる」とか、思うかもしれないが、外見はどうあれ、僕は常に「アイデア」を出そうとしている。

僕は5月にアタマがおかしくなる [2014年5月16日(金)]

 僕が1年でいちばん好きな季節がやってきた。
 この時期、僕の住んでいる地域では田んぼに水が入り、田植えが始まる。
 植えられたばかりの短い苗が爽やかな風にゆれ、田んぼの水がキラキラ輝くこの時期は、気温もちょうどよく、とても過ごしやすい。

 実はこの時期、僕は、ほぼ毎年アタマがおかしくなる。(笑)
 どうおかしくなるかというと、突然、むしょうに何かを作りたくなるのである。

 今日、その「発作」が来た。突然に。(笑)
 今年、僕が作りたくなったのは新しいソフトウエアである。
 何のソフトかというと、僕の本業である投資のソフトだ。
 FX(為替)の取引を補助するソフトのアイデアが閃いたのである。

 変な話だが、この時期に自分が何を作りたくなるのかを、自分で予想することはできない。
「作りたい発作」がいつ来るのかもわからないし、ときどき発作が来ないまま終わる年もある。

 今年は、まさか投資用ソフトを作りたくなるとは。僕も予想していなかったし妻も驚いている様子だ。
 さっそく、できるところから開発を始めようと思っている。

ネットで人気者になる方法(終) [2014年5月15日(木)]

 YouTubeの動画にしてもツイキャス(ライブ)にしても、配信主の個性とコンテンツが、うまくかみ合わないと人気は出ない。つまり「人気度を高める方法」は配信者ごとに違うのだ。
 だからあなたが「人気の配信者」になるための方法は、あなた自身がリスナーの反応を見ながらいろんなコンテンツや企画を試す中でつかむしかないと思う。

 僕は去年の10月からツイキャスでの活動を中心にやっているが、同時閲覧者数は300名~500名ぐらいで、ほとんど変化がない。もっと多くなることもあるし少なくなることもあるが、300名~500名というのが「僕の数字」という感じで、なかなかそれ以上は伸びない。

 僕は、YouTubeでライブをやっていた頃から「ライブにコンスタントに1,000人以上来てもらえるようになるのが夢」と言っていたが、その夢はまだ叶っていないし、どうしたら「同時閲覧者数1,000人以上」という夢を叶えることができるのか、その方法もわからない。

 ただ、あきらめているわけではない。
 閲覧者数を増やすためには、まず、できるだけ毎日ライブをやることだし、その内容を楽しいものにすべく工夫することだし、いろんな企画をやることだと考えて、自分ができる限りの範囲でベストを尽くしながらライブを続けている。

 YouTubeでもツイキャスでもそうだが、ある日突然、何かのキッカケで注目が集まり、急激に数字が伸び始めることがある。しかし、ただ待っているだけで、そんなラッキーが降って来ることはなく、やはり幸運の女神は、努力している人に微笑みかけるように思えてならない。

 この「ネットで人気者になる方法」というテーマで、このまま文章を書き続ければ本1冊分ぐらいになってしまうので、このあたりでいったんシリーズを終えることにするが、

・ネット上では「人気度アップ」より「楽しく活動できる」ことが重要
・できるだけ非常識なコンテンツ、モラル違反のコンテンツは出さない
・焦らず、あきらめず、長く活動を続ける

 などの基本を守りながら、まずは、自分がやりたい企画を楽しくのびのびとやることが大切ではないかと思う。
 自分ができる限りの、けんめいな活動を続けていれば、たぶん「数字」はあとから「ついてくるはず」だと、僕は信じている。

ネットで人気者になる方法(10) [2014年5月14日(水)]

 ネットで人気者になる方法について考えているが、そもそも「人気者」あるいは「有名人」になるのは、それほど素晴らしいことなのだろうか。
 僕自身、実は、「有名人になりたい」などとは考えていない。
 つまり、もしもコンビニで買い物をしているときに、しょっちゅう、
「あ! ラジオヤジさんですね!」などと声をかけられるようになったら、正直、ちょっと嫌かもしれないと思う。

 今のところ、僕にそんな経験はないし、今後そうなることもないだろうから心配は要らないが、有名人になってしまったらプライベートがなくなる恐れがあるし、過剰に忙しくなって寝る時間がなくなったり、自分がやりたくない仕事もやらなければならなくなる、など犠牲になるものも多い。

 そもそも人気の芸能人は「自由」なのだろうか?
 超売れっ子の芸能人の場合、何年も先まで、スケジュールがびっしり詰まっているに違いない。休みなんてないし、寝るヒマもないかもしれない。
 少なくとも僕は、そんな人生は、ちょっとかんべんしてもらいたいと思う。できるだけ自由でいたいし、毎日、マイペースで、できるだけやりたいことをやって過ごしたい。

 また、YouTubeやツイキャスで有名人になった場合でも、とくに女性の場合「つきあって欲しい」といったメールが殺到したり、実際につきまとわれたりするケースが少なくない。
 また、人気者になれば間違いなく批判や嫌がらせのコメントが増える。

 それでも本気でYouTubeのプロや芸能人を目指すという人を止めるつもりはないが、そこまで本気度が高くないのなら、ネット上の活動では「数字を取ること(=人気者になる、有名人になること)」より、「楽しくできること」の方が重要ではないか、と僕は思う。(つづく)

ネットで人気者になる方法(9) [2014年5月13日(火)]

 このシリーズの(6)で、ウケる動画の企画を考えるとき「テレビ番組」が参考になると書いた。
 テレビとYouTube動画は似ているようで微妙に違うし、資金力や人材が豊富なテレビに個人が対抗するのは難しい。しかし動画を作る上でテレビが参考になることは確かだ。
 簡単に言えば「できるだけテレビを真似ること」で、自分の動画のクオリティを上げることができる。

 一方、ツイキャスなどのライブで参考になるのは「ラジオ番組」だ。
 ラジオではよく電話で視聴者が番組に参加するが、これはツイキャスで人気の「電凸」とほぼ同じ企画だと言える。

 ラジオでは、たとえば「最近メチャはまっている食べ物を教えて」といった具体的なテーマを決め、メールやハガキでリスナーから投稿を募集することも多い。
 これをツイキャスに応用すれば、「最近メチャはまっている食べ物を教えて!」とリスナーに呼びかけて、コメントを入れてもらって読み上げるという企画になる。
 ツイキャスでは、こうした視聴者参加型の「ラジオ的なコンテンツ」がウケる傾向にある。(つづく)

ネットで人気者になる方法(8) [2014年5月12日(月)]

 YouTubeやツイキャスで人気の出る企画がある反面、いくらがんばってもなかなか人気の出ないコンテンツもある。

 たとえばYouTubeでは「シロウトの音楽コンテンツ」はほとんど見てもらえない。つまり僕が作ったオリジナル曲を歌ってYouTubeに上げるとか、僕が作ったオリジナルのギター曲を演奏してYouTubeに上げても、あまり再生回数は上がらない。

 もちろん、たとえシロウトでも、その演奏がものすごく魅力的なものであれば話は別だが、よほど際立ったパフォーマンスでない限り普通は見向きもされない。
 だから、「自作の音楽をYouTubeで世界に発信するんだ!」と意気込んで投稿しても、ほとんどは空振りに終わってしまう。

 ただ、そこで「もうダメだ」とあきらめてしまえば、本当にオシマイだが、「よし、もっとウケる動画を作るぞ!」と挑戦を続けていれば、ひょっとしたらブレイクのキッカケをつかめるかもしれない。
 しかし「YouTubeをキッカケに世界デビュー」といった話は、それこそ「宝くじに当たるような確率」でしか起こらないことは知っておくべきだろう。

 YouTubeでは「トーク動画」もあまり人気がない。
「トーク動画」とは、単に自分の考えや、本や映画などの感想を、カメラに向かって話すものだが、簡単に作れる反面、人気の動画にはなりづらい。
 ただ、こうした人気の出づらいジャンルの動画でも、

・「事件性」を帯びていること
・「刺激的」であること

 といった「ヒットの条件」を満たすように工夫すれば、再生回数を伸ばせる可能性がある。
 たとえば「トーク動画」でも、今、世間を騒がせている「事件」について鋭いコメントを述べるものや(「事件性」を帯びている)、誰かを口汚く罵る内容であれば(「刺激的」である)、再生回数が上がる可能性がある。

 こうして見てくると、
「人気が出る動画やライブは、どこかしら問題のある、モラル違反、あるいは非常識な内容であることが多く、逆に問題のない常識的なコンテンツでは人気が出づらい」という事実が浮かび上がってくる。

 はたして、私たちは、そしてあなたは、やや問題のあるコンテンツをネット上で公開してまで人気者になる必要があるのだろうか?(つづく)

休日 [2014年5月11日(日)]

 ツイキャスを日曜日に休むようになって2回目のお休み。
 本や雑誌を読んでアイデアを練ったり、自作のギター練習曲の記譜をしていた。

ネットで人気者になる方法(7) [2014年5月10日(土)]

 ツイキャスやニコ生などのライブメディアの場合、人気の配信者になるためには、リスナーとのつながりを重視することがカギになる。
 つまり、リスナーに、「今オンエアされているライブは自分と無関係ではない」と感じさせる企画が効果的である、ということだ。

 リスナーとのつながり重視の企画として、実際によくやられているのは「電凸」だ。
 これは、ライブでキャス主が、自分のスカイプやラインのID、あるいは電話番号を公開して、「ここにかけてきて」とリスナーに通話を促す。
 そして、リスナーとの会話をそのままライブで流すというものだ。

 リスナーは勇気を出せば自分もライブに参加できる。
 電凸を受け付けているライブは、「自分も出演が可能なライブ」だから、「つながり感」がある。
「オレも(私も)電凸してみようかな、どうしようかな」などと考えながら聞いているだけでドキドキ感がある。

 また実際、電凸はコンテンツとしても面白い。「百人百様」という言葉があるが、人間は一人々々が個性的で面白い。
 電凸では、一般のメディアには絶対に乗らない裏話やレアな話がどんどん飛び出すから、電凸に参加する気のない「聞くだけ」のリスナーにとっても十分に面白い。

 さらに、電凸を「刺激的」にしたものとして「喧嘩(ケンカ)凸」がある。これは、キャス主がリスナーにケンカを売り、通話で口喧嘩をする。その模様をライブでオンエアするのである。
 たとえば、街中でケンカがあれば人だかりができるのと同じで、「喧嘩凸」には、より多くのリスナーが集まる。
 ちなみに、僕はこれをライブの「人だかり効果」と呼んでいる。

 ただツイキャスやニコ生のリスナーには「飽きっぽい」という性質がある。リスナーは、あちこちのライブを見て回るのが当たり前だから、なかなか「定着」してもらうのは難しい。
 通常の電凸で、喧嘩凸でも、くり返しやっていれば早々に飽きられてしまう。(つづく)

ネットで人気者になる方法(6) [2014年5月9日(金)]

 前回、「ネットで人気者になるためには、刺激的なコンテンツを連発すれば効果的だ。しかし、そういったコンテンツで『信頼感』を得て、ちゃんとした仕事につなげることは難しい」と書いた。

 しかし、実際にネット上では頻繁にアカウントのBAN(バン=規約違反によるアカウント抹消)を繰り返すことが大きな宣伝効果となることも確かだ。アカウントのBANそのものが話題になり目立つし、アカウントがBANされるほど刺激的な動画を上げたのであれば、視聴者の印象にも残りやすい。
 単に目立ちたいのであれば、そして、後先かえりみないのであれば、捨て身の有名作戦もいいだろう。

 では、「まとも」なコンテンツで目立つためにはどうすればいいか?
 これに関しては、なかなか誰にでも再現可能な一般的な方法はない。
 実際、YouTubeで成功した人たちの、成功するまでの経緯を観察しても、ネットで有名になるための「法則」のようなものが、ハッキリと浮かびあがってくるわけではない。

 しかし、ことYouTubeに関して言えば、「できるだけテレビ的なコンテンツ」を作ることで、かなり目立つことができると思う。
 つまり、「この動画なら、そのままテレビで流せるのではないか」というクオリティの高い動画を作ることを目指すのだ。

 ジャンルとしては、YouTubeで人気の、料理もの、メイクもの、動物もの、事件性の高い動画、コメディなどで勝負する。

 ただ、「テレビ的なコンテンツ」づくりでは、まず台本を書き、ちゃんとしたカメラを使って、被写体に照明を当てて撮影し、外での取材映像も使い、音声収録はガンマイクやピンマイクを使って、きちんと別録りする、出演者はメイクをして、必要に応じて大道具、小道具を使う、編集にはアフターエフェクトなども使って、極限まで凝るといったアプローチが必要になる。

 こうした動画の政策にはお金がかかるし、途方もない時間がかかることを覚悟しなければならない。(つづく)

ネットで人気者になる方法(5) [2014年5月8日(木)]

 ネットで人気者になる方法について「連載」的に論じているわけだが、今日は、ちょっと立ち止まって根本的なことを考えてみたい。
 つまり、「あなたは、なぜネットで人気者になろうとするのか?」という目的を。
 要するに、「仮に、あなたがネットで人気者になれたとしましょう。で、どうするんですか?」って話である。

 さて、あなたが人気者になりたい目的はなんだろう?
 人気者になって芸能界デビューするのが目的ですか?
 人気者になってYouTubeの広告収入で生活するのが目的ですか?
 人気者になって異性にモテるのが目的ですか?

 実は、この「目的」がハッキリしていないと、適切な「企画」も立てられない。
 だって、たとえば芸能界デビューが目的だという人が、ひたすら「衝撃映像」のYouTube動画を作って再生回数を伸ばしても意味がないでしょう?
 芸能界デビューが目的なら、自分の魅力を最大限アピールする動画を作るべきだ。歌を歌ったり、ダンスをしたり。トークもできるってことをアピールしたり。もちろんきれいなビジュアルで。
「衝撃映像」は「芸能界デビュー」という目的に合致しない。

 ところが実際のところ、ネット上には「単に人気者になりたい」という人が多い。
 なんでもいいからYouTube動画の再生回数を上げたい。なんでもいいからキャスの閲覧数を上げたい。そんな意識の人、深く考えていない人が多いように思う。

 そういう人たちが「つい」やってしまうのが、前回書いたような「刺激的なコンテンツ」の連発だ。
「刺激的なコンテンツ」を発信すれば、YouTubeの再生回数は伸びるかもしれないし、キャスの閲覧数も上がるかもしれない。
 しかし、そういった方法で「数字」を稼いだとき、同時に失うものがある。それは一言で言えば「信頼」だ。

 事実、ネット上には刺激的なコンテンツやモラル違反のコンテンツ(つまりは「不適切なコンテンツ」)を連発した結果、「数字は取れているが、信頼感はゼロ」という人が少なくない。
 しかし、そういった人たちには「数字」しか見えていないので、伸びて行く数字に酔いしれ、「自分は成長している」と勘違いし、数字が上がれば「人気が出た」とうぬぼれる。

 ところが、いくら数字が伸びても、正式な仕事の依頼が来るわけでもなく、テレビ局から取材が来るわけでもない。
 だって、「不適切なコンテンツ」を発信しているような人に会社のCMを頼んだら、会社のイメージが悪くなるから頼めないでしょう?
 また「不適切なコンテンツ」を発信している人を取材してテレビで放送したら、視聴者からクレームが来るでしょう? だから採り上げられない。
 結局、「人気は出ているハズ」なのに「いい話」は来ないわけだ。

 さすがにどこかで「私は路線を間違えたのか?」と気づくかもしれないが、もう遅い。
 ネットの力は恐ろしい。自分で「私はモラルのない、非常識な人間です」と、さんざん大宣伝してしまったのだ。ネット上にデータとして刻まれた自分の過去を消すことはできない。おそらく「いい話」は永遠に来ないだろう。

 ネット上では今日も、目の前の数字だけにとらわれて路線を誤り、その致命的なまずさに本人が気づいていない「人気者になりたい人たちの失敗」が、くり返されている。
 これは悲劇か? 喜劇か? 悲劇のような喜劇だよね。(つづく)

ネットで人気者になる方法(4) [2014年5月7日(水)]

 前回に続いて、ネットで人気者になるための「面白い企画」について考えてみる。

 前回、「面白い企画はメディアごとに全く異なる」と書いたが、どのメディアでも共通してウケる企画がある。それは「刺激的な企画」だ。
「刺激的な企画」なら、たいていのメディアで、ほぼ確実にウケる。

 では「刺激的な企画」とは、どんな企画か?
 簡単に言えば、視聴者が見たとたん、
「おいおい、こんなものを流していいのか? これは問題だろう!」などと強く感情をかきたてられるコンテンツ、視聴者がどこかに「通報したくなる」ようなコンテンツだ。
 視聴者が驚くなり、呆れるなり、怒るなり、なんでもいいから強い感情をかきたてることに成功すれば、どんな内容でもよい。

 ただし、その行為そのものが犯罪であったり、法律に触れてはいけないし、各メディアの「投稿規約」に触れてもいけないことは言うまでもない。
 こうした問題をきちんとクリアしていることが前提だが、コンテンツは刺激的であればあるほどウケる。
 ついでに言えば、投稿規約に違反しない限り「モラル違反」など気にする必要はない。だって「モラル違反」では補導も逮捕もされないでしょう?(注:最後にも述べるが、僕は、こうしたやり方を「奨励」しているわけではない。)
 刺激的なコンテンツを発信すれば、YouTubeであれば再生回数が上がるし、ツイキャスなら閲覧数が上がる。

 YouTubeの場合、コミュニティ・ガイドラインという「投稿規約」がある。しかし、この規約は、あってないようなもので、実際はかなり過激な投稿まで許容されている。
 また、最悪、規約違反でチャンネルを削除されても、すぐに別のアカウントで「復活」できてしまう。
 これを逆手にとって、投稿規約違反「ギリギリ」の刺激的なコンテンツを連続投稿して再生回数やチャンネル登録者数を稼ぎ、人気者になることに「成功」している投稿者が少なくない。

「刺激的な企画」の具体例をあげてみよう。たとえば自分のパソコンを、メチャメチャにたたき壊すような動画だ。これはウケる。
 できれば正常に動いているパソコンの液晶画面を、でっかい金槌で、「ぶっ壊してやる!」などと大声で叫びながら叩き割る、みたいなハデな演出がいいだろう。

 自分のパソコンを壊すわけだから、誰に迷惑がかかるわけでもないし、犯罪でもない。
 しかし、見る側はビックリするから「衝撃映像」として再生回数が伸びる。
 自分のケータイをバキッと折る動画なんてのもウケそうだ。

 単純に「目立つこと」だけを考えるのであれば、このように、刺激的な企画を連発すれば、簡単にYouTubeの再生回数やチャンネル登録者数を伸ばすことができるし、ツイキャスでも同様に、閲覧者数を上げることができる。

 念のため断っておくが、僕は、こうしたやり方を「奨励」するつもりは、さらさらない。
 刺激的なコンテンツはウケるという事実を述べたまでである。(つづく)

ネットで人気者になる方法(3) [2014年5月6日(火)]

 ネットで人気者になるためには、魅力的なキャラクターと面白い企画が必要だという、「わかっちゃいるけど現実的には難しい」テーマについて考えている。
 今回は「面白い企画」について考えてみたい。
 当然ながら、ネットで人気者になるためには「面白い企画」を考えて実行する必要がある。
 
 企画を考えるとき、まず知っておくべきなのは、ネット上の「面白い企画」は、メディアによって(メディアごとに)まったく異なる、ということだ。
 動画投稿サイトYouTubeで「面白い」と言われる企画と、生放送のツイキャスで「面白い」と言われる企画は、まったく違うのである。

 具体的には、YouTubeでは時間をかけて作りこんだ「凝った動画」が好まれるのに対して、ツイキャスでは映像のクオリティなどどうでもよく、もっぱら「どんな出来事を伝えるか」という臨場感や「リスナーとの交流」が重要になる。

 また、たとえば6秒動画のVineを、Vineをよく知らない人が見ると、「なんだこの動画は? この投稿者は頭がおかしいに違いない」で終わってしまう。
 事実、僕も実験的にVineの動画を何本か作ってYouTubeにも上げてみたが、今日も「病院に行った方がいい」といったコメントが付いていた。つまり「こいつは頭がおかしい」という扱いだ。

 一方、Vineのことをよく知っている人たちは、僕のVine動画を「面白い」と評価してくれている。
 ただ、そもそも僕というキャラクターはVineには向いていないのだと思う。さらにVineの動画をYouTubeに上げたのが間違いだったのだ。

 だから、具体的な企画を考える前に、自分の活動しているメディアの性質をよく理解する必要があるし、自分のキャラクターや、やってみたい企画が、どのメディアに合っているかを吟味したうえで、「どのメディアに、どんな企画をぶつけて勝負するか」を決めなければならない。(つづく)

ネットで人気者になる方法(2) [2014年5月5日(月)]

 前回、「魅力的なキャラクター」について考えた。
 では、美男美女でもなく、とりたてて特技もない人達が、ネット上で活動しようとしたとき、具体的にどうすれば魅力的なキャラクターを打ち出せるのだろうか?

 僕はまず「消極的なアプローチから始めること」が重要ではないか、と考えている。
「消極的なアプローチ」とは、具体的には「できるだけ一般的に不快な要素を取り除くこと」である。
 もう少し簡単に「弱点」を目立たなくする、と言い換えてもいい。

 つまり、「表情がかたい」人は、とりあえず「笑うようにする」。
 動画などに出るときは、服装に気を遣う。清潔感のある髪型を心がける。ヒゲは剃る。髪の毛の量がさびしい人はカツラを使う。白髪の人は染める。(僕、やるべきなんだけどやってないんだよね。白髪染め。)

 これは実は芸能人だったら当たり前にやっていること。
 衣装に凝るのはもちろん、歯を白くしたり、歯並びを矯正したり、顔の気になる部分を整形したり。芸能人たちの努力には涙ぐましいものがある。
 ルックスで勝負してるわけではなさそうな実力派ミュージシャンの小田和正さんだって、最近は髪の毛を染めてるからね。

 あと、動画やライブの場合「絵づくり」も考えるべきだ。
 ちゃんと自分に照明を当てて撮る。できるだけいいカメラを使う。背景に汚いものや日常的なモノが映らないようにする。(自分ができていない&やっていないことを書いてごめんね。)

 こうした消極的なアプローチをするたびに、あなたというキャラクターは、少しずつだが確実に魅力的になる。
 ダメな要素が減って「減点」が少なくなるから、結果的に総合点が上がっていくわけね。ちょびっとずつ。(笑)

 ネット上で人気者になっている人の動画などをよく見てみると、このあたりの努力を徹底的にやっていることに気づく。
 逆に、僕を含め、キャラクターの魅力を上げるアプローチが不十分な人は、それなりの人気しか出ない。これは当然のことだろうと思う。

 やっていない人に言わせれば「面倒だからやらない」ことが多いのだが、その「面倒」を乗り越えて努力してこそ、人気者への道が開けるのではないかと思う。(つづく)

休息も大事だよね [2014年5月4日(日)]

 4日(日)は休日。Web日記も書かずに休んだ。(この日記は5日に書いている。)
 映画を見たり、作曲したり、外食に出かけたり、本を読んだり、という1日だった。
「ライブ命」の僕にとって、1日でもツイキャスができないのは、やっぱり辛いけど、休息も大事と割り切った。

ネットで人気者になる方法(1) [2014年5月3日(土)]

 ときどき、
「YouTubeで人気の投稿者になるはどうしたらいいですか?」
「ツイキャスで人気のキャス主になるにはどうしたらいいですか?」と質問されることがある。

「そういうことは僕にではなくて、実際に人気のある人に聞いてくださいよ」と言いたいところだが、僕なりに考えてみた。

 すぐに思いついたのは、ネットで人気者になるために必要なのは、おそらく「キャラクター×企画」ではないかということだ。

「人気 = 魅力的なキャラクター X 面白い企画」

 人気の公式があるとすれば、これではないか、と。

 要するに、魅力的なキャラクターが面白い企画をやれば人気が出るって話だ。そうでしょう?
 逆に、ちっとも人気が出ない原因は、キャラが魅力的でないか、やっている企画が面白くないか、もしかしたら両方ともダメなんだろう、ということになる。

 まず「キャラクター」について考えてみよう。
 動画なりキャスなりに登場するキャラクターが魅力的でなければ、人気は出ない。確かにそうだよね。

 では、キャラクターが魅力的であるための条件は何だろう?
 女性ならアイドル的な可愛さがあること、あるいは、いわゆる「美人」であること。
 男性なら若くてイケメンであることは、最も優位性が高く、わかりやすい「魅力」だろう。

 しかし、ここまで読んで「じゃあ私はダメだな」と思ってはいけない。
 魅力的なキャラクターとは、そんな狭い範囲のものではない。
 ルックスのほかにも、「話がうまい」「顔が面白い」「ファッションが奇抜」「声がいい」「歌がうまい」「モノマネができる」「ギャグのセンスがある」「楽器ができる」「スポーツがすごい」「絵がうまい」など、キャラクターの魅力には無限のバリエーションがある。
 何か1つでも「際立つもの」を持っていればいいのだ。

 ほら、あなたの知っているネット上のあの人気者も、何か際立つものを「持ってる」でしょう?
 そして、あなた自身もきっと何か1つぐらいは「持ってる」ハズだ。
 え? 何もない? それはたぶん自分で気づいていないだけだと思うよ。

 結局、魅力的なキャラクターであるためには、何か「際立つもの」が打ち出せればいい、ということになりそうだ。
 逆に何も「際立つもの」を打ち出すことができていない人は、魅力的なキャラクターではない、というわけ。

 だから、ネットの世界で人気者になりたいのなら、何か「際立つもの」を打ち出さなくちゃいけない、ということになる。(つづく)

死ぬまでに何曲できるかな? [2014年5月2日(金)]

 先月の末から書き始めていた、たった10小節の短いギター曲が、ようやく本日完成したので、できた楽譜を画像化して、知り合いのギタリストの高橋くんにメールで送った。

 ギター曲を作り始めて35年ぐらいの年月が経っているわけだが、最近になって、ようやく自作曲を、ちゃんとした楽譜にし始めているという、僕は、なんとまあズボラ極まりない作曲者であろうか。(笑)
 しかし偶然、今日まで死ななかったし、なんとか作曲やギターも続けて来れたから、こうして、ちらほらと楽譜ができていることは幸いである。

 高橋くん、すぐに僕の曲を演奏してくれて、「あたたかい気持ちになれるいい曲だね」と感想をくれた。
 パソコンやネットのテクノロジーのおかげで、こうした交流ができるのも楽しいし、そもそも、パソコンがあれば、自宅で印刷物レベルのキレイな楽譜を作れてしまうというのがすごい。
 できた楽譜を画像ファイルにして、メール添付で送るなどという夢みたいな話も、今や当たり前。

 今後、できる限り多くの曲を楽譜にしてみようと思っているが、さて、死ぬまでに、あるいは体が動かなくなるまでに何曲ぐらい作曲できるかな?
 ...当然ながら、まったく予想がつかないが、毎日1小節でも、コツコツ書き続けることが大事だと思っている。

ありがとう&さようなら to WinXP [2014年5月1日(木)] 

 WindowsXPのサポート期間が終了にともない、パソコン雑誌などは盛んに「XPからWindows8.1への移行方法」といった特集を組んでいるが、僕がWindowsXPの次に中心的に使うOSは8.1ではなくWindows7だ。

 最新のOSであるWindows8.1は、もちろんで魅力的だが、業務で使うには、まだまだ不安定だ。
 不安定なOSを使うと、いろいろ余分な苦労を強いられるので、僕はずっと「最新OSより一世代か二世代、古いOS」をメインで使うようにしている。
 だから次はWindows8.1ではなくWindows7なのだ。

 WindowsXPはもう10年以上使っていて「体にしみついた」ようなOSだ。あまりにもXPに慣れすぎている僕にとっては、XPによく似たOSであるWindows7への乗り換えすらもかなり大変な作業だ。もしも8.1に乗り換えるとなれば、この5倍は苦労するに違いない。

 すでにXPのサポートは4月9日に終わっているが、僕は特にあわててWindows7への切り替えをやっているわけではない。ゆっくり、のんびり、移行作業を行っている。
 世間では「XPは危険だ、危険だ」と騒がしいが、あれはマイクロソフトやパソコン販売店の「客に買い替えさせろ作戦」であって、一定の注意を払って使っていれば、XPを使い続けることにそれほど大きな危険はない。

 今日までに僕のWindows7の使用率は、かなり高まってきた。それでもまだ、Win7対WinXPの使用比率は7対3ぐらいで、XPもバリバリ現役である。

 実は、ウチにはまだ10台近くXPマシンがある。
 それぞれの性能に応じて、Windows7にアップデートするなどしてできるだけ使い続けたいと思っている。

 ちなみにWindows7のサポート終了は2020年。あと6年ほどだ。
 6年後、地球は滅亡していないのか、僕は生きているのか、パソコンというものがまだあるのか、マイクロソフトがつぶれていないか、いずれもわからないが、とりあえず行けるところまでWindows7で行ってみるつもりだ。(笑)

 それにしてもXPには本当に世話になったと思う。
 ありがとう、そして、さようなら、XP。

超人モーツァルト [2014年4月30日(水)]

 有名な話だが、かのモーツァルトは、死者に捧げるための「レクイエム」の作曲依頼を受け、その曲を書いている途中に死んでしまった。
 いかにも天才らしい、この上なくドラマチックな死に方である。

 モーツァルトの死後、彼が途中まで書いた「レクイエム」を完成させようと、弟子ががんばって補作し、なんとか仕上げた。
 しかし、弟子が書いた部分には常に「ケチ」が付くことになる。
 つまり、
「モーツァルトだったら、こんな曲にはしなかっただろう。こんなんじゃダメだ」という文句が後を絶たないわけだ。

 そこで、レクイエムの未完成部分については、昔からいろんな作曲家が、弟子の作品とは違ういろんなパターンの補作を作っては、
「どうだ、オレの作った補作が一番モーツァルトらしいだろう」という争いをやっている。これ、今も続いているんだよね。

 しかし誰がどう作っても、結局モーツァルトにはかなわない。誰もモーツァルトに歯が立たない。
 結局、モーツァルトを超える作曲家は、今日に至るまで、とうとう出ていないとも言えるのだ。
 
 才能あふれる超人モーツァルトは、彼の才能を嫉妬した同時代の作曲家に殺されたのだ、という説がある。

 僕もいちおう作曲をやるのだが、モーツァルトの曲を聴くと、嫉妬する以前に、完全に作曲意欲をなくしてしまいそうになる。(笑)

愚かな生き物 [2014年4月29日(火)]

 不祥事や事故が発生したとき、どの国でも行政が取り組むのは基本的に「再発防止」であるようだ。
 今日もまた、NHKの7時のニュースのトップは韓国旅客船の沈没事故だったが、韓国は、この事故を受けて「再発防止」のためにこれから「政治のしくみを変える」のだそうだ。

 ちなみに韓国では、1年間に5,000人ほどの人が交通事故で亡くなっており、人口あたりの交通事故死亡率は世界第1位らしい。
 5,000を12で割ってみると、1か月に交通事故で亡くなる人の数は400人超ということになり、わずかひと月の間に今回の旅客船沈没事故の死者数を超えてしまう。

 しかし、いわば「日常的」に起こっており、この先もずっと繰り返されるであろう交通事故より、「非日常的」で、この先そうそう起こらないだろうと考えられる旅客船沈没事故が大きく注目され、首相は辞任に追い込まれ、大統領の支持率も10ポイントほど下がっている。
 その中で、交通事故の「再発防止」ではなく、悲惨な旅客船沈没事故の「再発防止」が国のテーマになっているわけだ。

 人間とは実に感覚的、感情的な生き物であり、そもそも人間が「冷静な正しい判断」をすることなど、ほとんど無理なのだろう。
 何かの拍子に「目立つ」と、そればかりが気になってしまう。

 今回の件に限らず、もとより人間の判断は怪しい。
 常に「経済優先」で地球環境を破壊してでもお金儲けをしたいのが人間。殺人はもちろん「戦争」だってやってしまうのが人間だ。
 科学だ文明だテクノロジーだと威張っているけど、僕たち人間って、結局、まともな判断力のない「愚かな生き物」なんだよね。

 こうしてお隣の騒ぎを見ていると、日本の原発事故にも、同じような側面がないとは言えない気もしてくる。

今日もまた「あのニュース」が流れる [2014年4月28日(月)]

 毎日、新聞やテレビでニュースをチェックすることを日課にしているが、日本の報道には「特定のニュースを伝えることに異様に偏る傾向」があり、僕はいつも危機感を抱いている。

 たとえば、オバマ大統領が来る前、日本のトップニュースは、ずっと韓国旅客船の沈没事故だった。
 オバマ氏が日本にいる間は当然のごとく米大統領訪日のニュースばかりに切り替わり(しかも寿司を食ったとか、抹茶アイスを食ったみたいな低俗な話ばかり)、オバマ氏が日本を去ったら、再び韓国の旅客船の沈没事故に、ニュースのフォーカスが戻っている。

 オバマ氏は、まだアジア各国を回っており、それぞれの国で重要な交渉をしていて、それは日本と決して無関係ではないのだが、そういったニュースはほとんど報じらず、また「韓国の旅客船沈没事故」ばかりが流れているわけだ。
 オバマ氏来日の間に、TPP交渉が実質(日本の大幅譲歩により)妥結したが、鹿児島の選挙の投票前に公表するのはマズイ、ということで隠されていた事実も報道されない。

 もちろん韓国の旅客船の沈没は痛ましい事故に違いないが、連日トップで扱う性質のニュースかどうかは、はなはだ疑問だ。
 同様のニュースに、マレーシア航空機の失踪事件があるが、なぜかこちらの事件は報じられず、韓国の旅客船事故ばかりなのか?

 理由はハッキリしている。それは韓国旅客船事故の方が「ニュースとして面白いから」である。
 まだ船の中に人が残されているという悲惨でリアルな状況が目の前にあることに加え、被害者の家族が泣いたり、叫んだり、怒ったりするから、非常にエモーショナルな映像が豊富にある。巨大な船が沈むショッキングな映像素材もふんだんに用意できる。
 事故現場が日本から近いので、あまり費用をかけずに「現地からのレポート」も可能だ。

 その結果、「見栄えのするニュース」が作りやすい。
 だから、日本にとって重要かどうかはさておき、このニュースばかりに報道が偏るのである。

 しかし、ニュースの枠が限られていることを忘れてはいけない。
 あるニュースを報道すれば、別のニュースは報道できなくなる。
 韓国船の事故の報道の陰に、実は我々にとって、もっと重要なニュースや、政府にとって「都合の悪い」ニュースが、たくさん隠れていることを忘れてはならない。

 日本の報道は、かなりの部分「どうでもいい話題」ばかりであり、我々の命やお金に直接かかわるニュースは、ほとんど流れていない。

PCできなきゃ音楽できない [2014年4月27日(日)]

 最近、楽譜作成ソフトの「フィナーレ」に取り組む時間が長くなっており、ほとんど一日じゅう立ち上げっぱなしの状態だ。
 これは、「どんな楽譜でも作成可能」と言われている高機能な楽譜作成ソフト。プロの作曲家の多くも使っている定番ソフトだ。

 もちろん美しい楽譜を作ることができるのだが、かなり「クセ」のあるソフトで、マスターするのに時間がかかる。
 おそらく買った人の中には、マスターできずに投げ出してしまう人も多いのではないか、と思う。

 しかし、いったんこのソフトをしっかりマスターできれば、作曲者としての表現力は10倍以上になるだろう。
 まだまだ、わからないことが多く、日々フィナーレとの格闘が続くが、少しずつわかってくると「あんな作品も書けそうだ」「こんな作品も書けそうだ」と、夢が広がる。

 今の世の中、パソコンをうまく活用できるかどうかで、音楽家としての表現力が大きく変わってしまうから、パソコンは避けて通れない。
 ただ、ソフトの使用環境を整えたり、使い方をマスターするためには時間と根性が必要だ。あわてず焦らず、一歩ずつ進みたい。

 今日はツイキャスを休むので、このあとは、もう1つの重要な音楽制作ソフト、ソナーのX3をインストールしたり、購入したMIDIキーボード(コルグ TRITON taktile)をつないだりしてみようと思っている。

旅行か創作か [2014年4月26日(土)]

 最近になって自作曲の記譜を始めたのだが、記譜をし始めて改めて「アウトプットの大変さと喜び」を感じている。

 たとえば本を1冊書く(アウトプットする)のに使う時間や労力は、本を100冊読む(インプットする)のに等しいと感じる。
 しかし、自分が書いた本が書店に並ぶ感動は、本を100冊読んで得る感動の100倍に相当するだろう。
 つまり、自分の本を1冊書くには、本を100冊読むのに等しい労力が必要だが、同時に、単に人の書いた本を100冊読むより100倍楽しい作業でもあるということだ。

 音楽も同じだ。たとえ小さな練習曲でも、正確かつわかりやすく譜面に書き出し、解説も添え、きちんと作品として産み出す(アウトプットする)ことは大変だが、それは同時に、クリエイターとしてなにものにも代えがたい喜びでもある。

 若い頃にはよく「コンテスト」に応募するために、時間のないなか徹夜で作曲したり文章を書いたりしていたが、そういう作り方には余計な苦痛が伴う。

 最近は、もっぱら締切も何もないところで、時間に追われることなく、自分が作りたい作品をじっくりとていねいに仕上げる創作スタイルだ。
 これぞ創作の楽しみといった、クリエイターにとっては最高の時間の過ごし方であり、今後も、なるべく長い時間をゆったりとした「創作タイム」に充てたいと思う。

 世はゴールデンウイーク。テレビでは、海外旅行に出かける人たちの楽しげな様子が流れているが、旅行か創作か? と聞かれたら、僕は迷わず創作の楽しみを選ぶ。

 この感覚、世の多くの人たちには、まったく理解されないだろうと思うし、妻には少し申し訳ないと感じるが、彼女は彼女でいろんな予定を入れて人生をエンジョイしているようなので、たぶん大丈夫だろう。

なぜ「しんちゃん」って呼んでくれないの? [2014年4月25日(金)]

 庶民には想像もつかない巨額の費用を使ったであろうオバマ米大統領の来日。結局、何の成果もないまま、オバマさんは韓国に行っちゃったね。

 だいたい、このタイミングでオバマさんに来てもらう理由などあったのか? まったく必然性が見あたらない。
 そして、なぜ異例の「国賓」扱いなのか? これも意味がわからない。

 どう考えても「異例に見栄っ張りな総理大臣」である安倍さんが自分の「権力」を誇示し、「成果」を強調し、「歴史に名を残そう」とせんがための行事だったとしか思えない。(しかも無残に失敗。)
 彼の「個人的な行事」に国民の血税が使われた。東京の人たちは日常生活に支障を来した。それだけのことだろう。

 オバマ氏の来日で国民の幸福度が0.001%でも向上したのならまだしも、「高級寿司店かあ。羨ましいな」と国民は自らが「下層の民」であることを思い知らされ、嘆きながらため息をつくほかなかった。
 高級寿司店に行けるどころか、国民は回転寿司の割引券すらもらえない。

 一般の企業なら、このように意味のないバカな行事は絶対にやらない。
 もしもお金を使うのなら、それに見合う利益を考える。つまり「採算が取れるかどうか」を考える。当然だ。
 しかしこの国と来たら。採算もクソもなく、単に総理大臣の「見栄」のために巨額のお金を使って平気でいるのだから救いようがない。

 安倍総理が会見で「バラクちゃん」ってな感じの「猫なで声」でオバマ大統領をファーストネームで呼び、おべっかを使ったのは予想通りだったが、オバマさんはしれっと「プライムミニスター・アベ」と返した。「しんちゃん」って呼んでくれなかった。
 オバマさんにしてみれば、あまりに相手がバカ過ぎて、ファーストネームで呼び合う気になんて、さらさらなれなかったに違いない。

 つい先日、韓国の大統領にこびへつらい、無視されて恥をかいたばかりなのに、性懲りもなくまたやっちゃった。
 ああ恥ずかしい。こちらが赤面してしまいそうだ。

 政治家たちの名誉や利権ばかりが重んじられ、国民を少しも幸せにしないこのような政治がいつまでも続いてよいはずがない。

そろそろなんとかしようよ [2014年4月24日(木)]

 NHKのクローズアップ現代で、今アメリカで盛んになってきている興味深い動きが伝えられていた。
 アメリカでは今、100万ドル(=約1億円)以上の資産を持つ人たちが自らの手で自治体(具体的には「市」)を作り、作った「市」を株式会社のようにシステマティックに運営する動きが広がっているというのだ。
 聞いてぶったまげたが、アメリカでは市民が「市」を作ることが法律的に可能なのである。

 富裕層たちの作った新しい「市」では徹底的な経費削減が行われ、その結果行政にかかる費用は半減。支払った税金がきちんと市民の生活に還元されるようになっている。
 かつて富裕層は多くの税金を支払わなければならなかったが、支払った税金の多くは貧困層の救済に使われ、税金の「払い損」という状態だった。
 富裕層は「これではお金を盗まれているようなものだ」と立ち上がり、自分達の理想とする「市」を作ってしまったのだ。

 この運動によって、富裕層達は理想の「市」を手に入れ、快適な生活ができるようになった。
 一方、富裕層の去った自治体では、貧困層はますます暮らしが苦しくなり「ゴミが回収されない」といった生活の不便を強いられ、さらには刑務所も運営できないからと囚人が街に解き放たれ、治安がひどく悪化しているのだと言う。
 まるで映画のような話ではないか。

 このように、今アメリカでは1%の富裕層とそれ以外の99%の人たちが、同じアメリカという国にいながら国内に「別々の国家」を構築し、別々の国家に住んでいる状態になっているという。

 こうした貧富の格差はもちろん問題だが、僕が興味を持ったのは、「富裕層が自治体の運営を効率化した結果、行政に必要な経費が半分になった」という話だ。
 これは我が国にも応用可能だと思った。
 つまり、日本の行政にかかる費用も、おそらくは半額程度に抑えられるに違いないのである。
 徹底的な経費節減と効率化をはかれば行政サービスをよくしながら税金を安くできる。消費税を上げる必要もなくなるし、国の借金も返せるようになり財政は健全化するはずだ。

 現実、今の日本では利権や意味のない慣習で、今日も無駄金がバンバン使われている。
 これを減らすところから始めなければならないのに、国はバカみたいに札を刷って見かけの数字だけを改善しようと奔走し、さらに増税という安易な手段に逃げている。

 これは明らかな間違いだ。小学生でもわかりそうな、これほど大きな政治のミスを「仕方がない」と看過しているのが、我々日本人の悲しい現状だ。
 我々日本人は、そんなにバカじゃないはず。そろそろなんとかしようよ。

休息も必要 [2014年4月23日(水)]

 最近の僕は「オレをさえぎるモノなど何もない」という勢いだった。
 エネルギー全開で日々のキャスをやり、仕事もやり、創作もやっていた。休みなんて必要ないし、休んでいるヒマがもったいない。そんな心境だった。

 ここ10日ほど前から、特に疲れを感じるようになっていたが、「そんなのは気のせいだ」とか「疲れを感じずに活動する方法があるはずだ」みたいに考えていた。「休もう」などとは、まったく思わなかった。

 しかし体は機械ではないんだね。
 たとえどんなに楽しい活動であっても「活動すれば疲れる」わけで、キャスを始めてから半年間の、いや、YouTubeを始めてから2年半ほどの疲れが、今週になってどっと出たという感じだ。
 
 今日は、かなり体調がよくなってきたが、まだ完全ではない。
 こういうとき、ツイキャスをどうするかという判断が一番難しいが、迷うときは「やめるべき、休むべき」なのだろうと思う。

 僕がやりたいことはハッキリしている。

 ①音楽の創作とツイキャスなどの表現活動。
 ②自分自身の起業と起業家の育成。
 ③不登校、いじめ、就職できないといった悩みを抱える人たちへの働きかけ。

 こうした活動がやりたくて意欲満々なのだが、動けなくなってあらためて今「休息も必要」なのだと考えている。
 よりパワフルに活動するためにも、うまく休めるように生活を改善したいと思う。

毎日のツイキャスは無理みたい [2014年4月22日(火)]

 昨日から体調を崩しているが、今日もまだ普通の状態にはほど遠く、長時間ベッドで休んでいる。
 要するにキャス疲れだろうと思うのだが、呼吸器系を中心に全身に強い疲労感があり、ベッドに横になるとすぐに寝入ってしまう。
 とにかく体が泥のように重い。ちょっとオーバーに言えば「過労死するってこんな感じかも」といった体調だ。

 幸い僕は自営業で、仕事の量は自分の意思でコントロールすることができるので、あと数日しっかり休んで体調を整えたい。

 今日はツイキャス開始6ヶ月記念日で、プレゼント企画の当選者発表日。
 本来はプレゼント抽選ライブを予定していたが、こんな状態なので抽選ライブはとりやめることにした。
 このあと、サイト上でプレゼントキャンペーン当選者の発表だけは行うつもり。(結局短時間ながら「当選者発表キャス」をやってしまった。)

 ツイキャスを始めてから、体調を崩したのは2回目だが、結局「毎日のツイキャスは体力的に無理」という結論になりそうだ。
 考えてみれば、土日だけで5時間もしゃべりまくっているわけで、体の負担は相当なもの。
 やっていて楽しいからこそ、疲れも激しいようだ。

 キャスは今後も長く続けたいから、無理なく続けられるローテーションを考えなければならないと思う。
 毎日がんばってライブをやっていても、ときどき体を壊して数日休めば、結局は、週に1回程度は休んでいるのと同じことだから。

どっと疲れが出た [2014年4月21日(月)]

 今日は、何だかどっと疲れがでて動けなくなってしまい、ほとんど活動ができない状態で、終日休んでいる。

 僕にはもともと、ある決まった曜日に休む習慣がない。
 ここ数ヶ月間も、ツイキャスだったり、音楽制作だったり、仕事だったりの活動に集中していたが、どうやら集中して頑張り過ぎたようだ。
 特に毎日のツイキャスの疲れが大きく響いているように感じている。

 ツイキャスは、人には「遊び」と見られるだろうし、僕にとっても「趣味」の領域に入る活動であることは間違いない。
 しかし僕は「趣味」も「遊び」も「仕事」も同じように大切にしているので、すべての分野に真剣に取り組んでしまう。
 とりわけツイキャスのライブは大好きな活動だけに、どうしてもエネルギーを使い過ぎるようだ。

 過去の経験から、こういうとき無理に活動しても、結局、体調不調が長びいて復帰が遅くなるだけなので、今日はツイキャスも休んで体力の回復につとめたいと思う。

登山は最初の一歩で完結している [2014年4月20日(日)]

 昨日の日記で「最近、一日を長く感じるようになった」と書いた。
 これはなぜなのか、さらに考えてみた。

 以前の僕は、何から何までやろうとして、やる前から疲れていた。
 たとえば作曲の分野で言えば、歌の曲も、ギターの曲も、合唱曲も、シンセサイザーの曲も、できればオーケストラの曲も、といった具合に、まず膨大な「作りたい曲リスト」があって、そのリストを眺めながら、
「どうせ無理だ。できやしない。時間が足りない」とため息をつく、というライフスタイルだった。

 このとき僕は、
「自分が作りたい音楽を、すべて完成させることができてこそ意味があるのであって、そうでなければ(すべてを作ることができなければ)無意味だ」といった感覚に支配されていた。
 登山にたとえれば、「頂上にたどり着くことが絶対目標であり、それに失敗したら、まったく意味がない」という感覚だ。

 しかし今の僕は、「1曲でも形にできたならそれを喜ぶ」というライフスタイルを選択している。
 これを同じく登山にたとえれば、
「頂上に向けて登山の第一歩を踏み出したことを喜び、山の空気や景色や、咲いている花や樹木の姿といった、すべてを楽しみながら、一歩々々、一瞬々々を充実させる」という感覚だ。

 このライフスタイルを選びとったとき、「頂上に着いたかどうか」は問題にならなくなる。
 なぜなら、一歩踏み出したところから登山は始まっていて、同時に、その登山は完結している、という感覚だからだ。

 以前の僕は、構想ばかり大きくて、その反面、一小節も楽譜を書き進めることができなかった。
 しかし最近の僕は、小品の作曲から始めて、実際に楽譜を書き、プリントアウトして「形」に残すことができている。

 つまり、以前の僕には「今日の一日」に「できた」ことがなく、ただ空しかった。「小品など書いても無意味」と考えていたから、何もしなかったのである。

 しかし今の僕には「今日の一日」に「できた」ことがあるから、今日が充実している。
 今日できあがった小品の楽譜を嬉しく眺めることができている。
 その結果、「今日の一日を(「充実している」というよい意味で)長く感じる」ことができているのではないか、と思う。

 ライフスタイルの変化によって実際に「一日の価値や有用性が高くなっている」のだろう。
 さあ今日も、まず一小節から、書き始めよう。

長くなった一日 [2014年4月19日(土)]

 最近、ふと気づいたことがある。それは、
「この頃なんだか一日が長いなー。一週間が長いなー」ということだ。
 それは悪い意味で「長い」のではなく、心地よく長く感じられるのである。

 以前は、毎日が空しく過ぎていた。
「今日も何もできずに終わってしまった」という感じの一日が少なくなかったように思われる。
 24時間が手からこぼれ落ちてしまっているようで、日々がとても短く感じられた。

 僕には最近、大きな心境の変化があり、日々をゆったり幸福に過ごせるようになった。
 一日の密度が高くなり、毎日にしっかりした充実感、手応えを感じることができるようになった。
 その結果、一日が長く感じられるようになり、その積み重ねである一週間も長く感じられるようになったようである。

 この感覚をずっと保てたらいいな、と思っている。

楽譜から広がる夢 [2014年4月18日(金)]

 僕はずっと作曲をやってきたが、楽譜を書く作業が嫌いで、今までマトモに楽譜を作らなかった。
 作った曲はメモ書き程度の楽譜にするか、記憶しておくようにしていた。
 しかし最近、ギターのための作品を作り始めたことで作品が増え、作った曲を覚えていられる自信がなくなってきたので「ついに」記譜を始めた。

 作曲者の中には「メロディは浮かぶが楽譜が書けない」という人がいる。
 僕も楽譜が書けないのならしかたがない。しかし僕は、ちゃんと楽譜を書くことができるのに書いてこなかった。ものぐさにもほどがあるというものだ。

 一昨日、記念すべき最初のマトモな楽譜が完成し、今日は2作目ができた。
 こうして自分の作品を楽譜にしてみるとなかなかの快感である。
 なんだか、楽譜づくりにはまりそうな気配だ。(笑)

 だって、僕の作品が、ようやく僕の脳内から外界に「生まれた」のだから。
 楽譜にしたことで、自分の作品は「翼」を得たのではないか、と感じている。これで僕の音楽は、どこにでも飛んで行けるぞ、と。

 昨日あたりから僕は、自分の書いた楽譜をながめながら、
「オレは最終的にはオーケストラの曲を書くぜ!」などと思い始めているのだから、われながら「お調子者」である。

 オーケストラはともかく、まずは合唱曲の楽譜を作って、いろんな学校や合唱団に「僕の作品を歌ってくれませんか」という手紙を付けて送りたい。
 ああ、一枚の楽譜から夢が広がるなあ。(笑)

ツメという楽器 [2014年4月17日(木)]

 クラシックギターのギタリストにとって楽器はギターだけではない。実は右手のツメも楽器の一部なのである。
 ツメの形を整えてヤスリでピカピカに磨いておかないと、ちゃんとしたギターの音が出せない。
 だから、病気などでツメの状態が悪い人は「本格的にクラシックギターを演奏するのは無理ですね」と言われてしまう。

 ギタリストのツメの長さは人それぞれ。
 とても長く伸ばす奏者もいるし、僕のように短かめに整える人もいる。

 僕の右手の親指のツメはブキミな三角形。
 その端っこは鋭利にとがっているので、ちょっとした包装を開けるときの「カッター」としても使っている。(笑)

 僕は実はツメを伸ばすのが嫌なので、ビジネスが忙しく長くギターが弾けないとわかっているときはツメを短く切ってしまう。邪魔だし不潔感があるからだ。
 最近はライブで毎日ギターを弾くので、ずっと伸ばしたままだ。
 ギターを弾く時だけ付けられる、着脱式の「付けヅメ」があればと思うが、そんなものはない。

 毎日のツメ磨きには時間もかかる。
 ツメのオシャレに熱心な女性は多いが、僕も、ツメを整えるのにかける時間や、ツメを大切に思う気持は、決して彼女らに負けていないと思っている。

9年かかって楽譜完成 [2014年4月16日(水)]

 楽譜作成ソフト「フィナーレ」で、クラシックギターの練習曲の記譜が完成したので、昨日セットアップしたキヤノンのプリンタで印刷してみた。
 想像以上に美しい楽譜をプリントアウトすることができた。

 まだ、サブタイトルを付けたり解説を書いたりという作業が残ってはいるが、とりあえずこの楽譜をギタリストに渡せば、僕の曲を演奏してもらうことができる。
 ようやく自分の作品を形にすることができて、とても嬉しい。

 音楽の分野で、僕はギターを弾いたり、作詞・作曲をして歌ったりしている。
 僕の音楽的な能力は大したことがない。特に演奏がダメだ。
 だからこうしてアマチュア・ミュージシャンをやっているわけだが(笑)、比較的「マシ」なのは作曲の分野ではないかと思っている。

 僕が楽譜作成ソフト「フィナーレ」を最初に購入したのは2005年だった。そのときのバージョンは「Finale 2005」。
 つまり僕は、2005年からずっと「自分の作品を楽譜にしなければ」と思い続けてきたわけだ。
 その思いを実現できたのが今年、2014年。実に9年かかった。
 フィナーレのバージョンも「Finale 2014」になっている。

 9年かかって楽譜にできたのは、まだたった1曲だけだが、死ぬ前に1曲でも楽譜にできてよかったと思っている。(笑)
 このあとは、できるだけ多くの曲を楽譜にしたい。

 それにしてもソフトを使った記譜の便利でラクなこと。
 もしもモーツァルトが「フィナーレ」を使っていたなら、彼は今残っている作品の2~5倍ぐらいの曲を作ったに違いない。

インクジェットプリンタの限界 [2014年4月15日(火)]

 新しいプリンタ、キヤノンのiP7230を購入した。
 オリジナル曲を収めた、自分の音楽CDに付ける小冊子を印刷する目的もあり、4~5年ぶりに購入したプリンタだ。

 2時間ほどかけて、セットアップとテストプリントをやってみたが、細かい文字(8ポイント)の印刷はかすれてしまって、設定をどう変えてもうまく行かなかった。どうしても「幸」などの文字がかすれてしまうのだ。

 結局、いくら最新型のプリンタでも、「写真」の印刷に照準を合わせて開発されている(であろう)インクジェットプリンタでは、細かい文字の印字品質には限界があるようだ。

 このあと、楽譜もキレイに印刷したいと思っているので、なんとか満足の行く印字品質が得られるプリンタを見つけなければならない。
 エプソンのプリンタも試してみる必要がありそうだ。

許せないあいつ [2014年4月14日(月)]

 誰にでも一人や二人は「あいつは絶対に許せない」という人がいるかもしれない。
 その人のことを考えるだけで腹が立つ。そんな相手が。

 あなたは、なぜその人のことを許せないのだろうか?
 おそらく「自分は正しいが、あいつは間違っている」と思っているからだろう。

 しかし「自分は正しい」という感覚も「あいつは間違っている」という感覚も、自分の勝手な思い込みであって、いくらあなたが「自分の正しさ」を主張しても、また「相手の間違い」を指摘しても、あなたの主張や指摘がすべての人に受け入れられることはない。

 それどころか「いや、間違っているのは、むしろあなたの方だ」と自分の誤りを指摘されてしまう可能性さえある。
「正しい」とか「間違っている」という感覚はあくまでも主観的なものにすぎないからだ。

 また、いくら強烈に「自分は正しいんだ」と思ってみたところで「間違っている」相手が変わることはないだろう。

 さらに言えば、その煮えたぎるような「正義」は、
「自分の『正しさ』を通すためには、間違っているあいつを殺すしかない」といった危険な感覚にもつながりかねない。
 言うまでもなく、そんな感覚が「正義」であるはずがない。

「自分は正しい」「あいつは間違っている」「だからオレはあいつを許せない」
 こういったこだわりを持っている人は苦しむ。そして、そのこだわりは確実に仕事や勉強や人間関係に支障を来す。その人自身が損をする。

 それでもなおかつ「自分は正しい」という思いを貫くか?
 あるいは、そんなこだわりは捨てて、さっさと戦いから降りるか?
 我々はどちらでも自由に選ぶことができる。

 僕は迷わず戦いから降りる方を選ぶ。
 ときに「戦いから降りること」を「負けだ」とか「逃げだ」とか言う人がいるが、僕はそうは思わない。
 だから今の僕に「許せないあいつ」は一人もいない。

それはあなたが悩むことじゃない [2014年4月13日(日)]

 ツイキャスをやっていると、しばしばリスナーさんから「悩み」を打ち明けられる。

 その「悩み」の多くは、
「自分がコントロールできないことをコントロールしようとして苦しんでいる」パターンであるように思われる。
 たとえば「『わたし』は○○さんの×××という行動が気に入らない。どうにかならないものか」といった悩みである。

 その「×××」の部分の内容は様々だ。
「○○さんが陰で『わたし』の悪口を言っていると聞いた」
「○○さんが『わたし』をバカにする」
「○○さんが真面目に仕事をやらない」
「○○さんは自己中心的で周りへの配慮が足りない」
「○○さんにいつも怒られる」などなど。

 しかし、これらはどれも「わたし」がいくら悩んでもどうしようもないことばかりだ。
 だって「わたし」が気に入らないのは、○○さん(他人)の言動であって自分の言動ではない。
 したがって、どうあがいても自分(わたし)にはコントロールできないからだ。

 さらに考えると○○さんが引き起こす「×××(問題)」は、「わたし」の問題ではなく、むしろ「○○さん自身(相手)」の問題であることもわかる。

・○○さんが陰で「わたし」の悪口を言っている
→○○さんは、フラストレーションからか、自分の持つ劣等感の「はけ口」なのかわからないが、つい人の悪口を言ってしまうという問題を抱えている。

・○○さんが「わたし」をバカにする
→○○さんは、つい上から目線で他人を見てしまうという問題を抱えている。

・○○さんが真面目に仕事をやらない
→○○さんは真面目に仕事に取り組めないという問題を抱えている。

・○○さんは自己中心的で周りへの配慮が足りない
→○○さんは周りへの配慮ができないという問題を抱えている。

・○○さんにいつも怒られる
→○○さんはすぐに感情的になってしまうという問題を抱えている。

 つまり「○○さんが陰で『わたし』の悪口を言っていると聞いた」としても、自分が悩む必要はないことがわかる。
「ああ、彼はそういう(悪口を言ってしまうという)問題を抱えているんだな」でオシマイ。(笑)

 そう。「○○さん」の「×××(問題)」は、あなたが悩む問題じゃなくて本来「○○さん」が悩むこと。
 だから、わざわざご親切に、あなたが「○○さん」の代わりに悩んであげる必要などないってことだ。
 違いますか?(笑)

合唱団に入団 [2014年4月12日(土)]

 僕の大好きな音楽のジャンルに「合唱」がある。
 これまで、ときどき母校の合唱団の定期演奏会を聴きに行っていたが、この歳になってあらためて合唱に強く惹かれるようになり、自分も歌いたくなったので、今日、友人が指導している地元の合唱団に入団させてもらった。

 合唱「団」とはいえ、メンバーは女性が4人、僕と友人(先生)を含めて男性が3人の、計7人。(笑)
 なんとも小規模な「団」だが、やはり実際にコーラスをやってみると合唱曲の「つくり」がよくわかり作曲の参考になる。

 僕のパートはベースに決まった。低音部だ。
 僕はベースだと低すぎて歌えず、テノールだと高すぎて歌えない、というハンパな声域だが全体のバランスを考えると僕がベースに入った方がよさそうだということで、ベースを歌うことになった。

 メンバーの見た目は普通のオジサン、オバサン達だが、初めて渡された楽譜をすぐに歌えるレベルの人達がそろっていた。
 この合唱団、どうやらある程度、音楽の知識や経験がある人達の集まりのようで、たとえば僕の隣のオジサン(同じベースの人)は、今は定年を迎えたが元は中学校の音楽の先生だったそうだ。

 月に2回の練習だが、ちょっと楽しみが増えた感じ。
 今年の9月にはステージもあるそうだ。
 ...ってことは僕も出るんだよね。(笑)

僕はヒマ人 [2014年4月11日(金)]

 僕は、土日も休まず毎晩、ツイキャスで2時間のライブを続けている。
 そんな僕に対して、ときどきコメント欄に「あなたはヒマ人ですか?」という書き込みがある。
 確かに、毎晩2時間もおしゃべりをしている僕は「ヒマ人」に見えなくもないだろう。

 実際はどうかというと、僕はいつも、やりたいことをたくさん抱えながら、
「ああ、時間が足りない!」と思いながら生きており「ヒマだ」と感じることなど一瞬たりとしてない。

 僕はできるだけ毎日、翌日のスケジュールを細かく立て、そのスケジュールに沿って生活するようにしている。
 本業、取材、運動、楽器の練習、作曲などの創作、(今やっている)日記の執筆など、それぞれ「何時から何分間やる」と決めて取り組んでいるのだが、スケジュールはかなりタイトだ。

 とにかく僕は、やりたいことが多すぎる。
 たとえば作曲の分野1つとっても、僕が作りたいのは歌(フォークソングやポップス)だけでなく、シンセサイザーの音楽、合唱曲、クラシックギターの曲と多岐にわたる。
 とてもじゃないが、この短い人生で作りたい曲をすべて完成させられるとも思っていないが、音楽に限らず、僕はめいっぱい「やりたいこと」を掲げておきたいのだ。

 だから「ヒマ人」に見られる僕は、たぶん死ぬまで休みなく、忙しくなにかに取り組んでいるだろう。
 でも待てよ。こうしていろんな活動ができるのは、たぶん「実際にヒマだから」に違いないよね。
 そうか。結局僕はヒマ人なのだ。(笑)

バカ人間どもの環境破壊 [2014年4月10日(木)]

 今日の日経新聞に「東京のメダカがピンチ」という記事が載っていた。
 東京都内の水辺には「メダカ」が生息しているが、放流された他地域のメダカとの交雑が進んだことで、純粋な野生のメダカが減少し、純粋種の絶滅が危惧されているとのこと。

 要は「ちゃきちゃきの江戸っ子」的なメダカがいなくなってしまいそうだという話なのだが、こういうとき「○○が絶滅の危機!」のように書かれることに僕はいつも違和感をもつ。

 なぜなら、絶滅しそうな「○○(ここでは江戸っ子メダカちゃん)」は彼ら自身のせいで絶滅の危機に瀕しているわけではなく、彼らを絶滅に追いやろうとしている主犯は、ほかでもない我々人間だ。
 それを「○○が絶滅の危機!」などと書くのは、あまりにも無責任だろう。

 したがって正確に表現するならば、
「バカ人間どもの環境破壊のために江戸っ子メダカちゃん達が絶滅しそうで可愛そう!」
 とか、
「江戸っ子メダカちゃん達を絶滅に追いやるバカ人間どもの許されざる環境破壊!」
 みたいな見出しにすべきである。(ちがう?)

 いろんな汚染物質で地球の水と空気を汚しまくって、金儲けと権力争いに明け暮れているバカ人間どもが、恐ろしいことに70億人あまりまで増殖した。
 この地球上で、僕らが今日も普通に呼吸できること、水が飲めること、海や川の魚が食べられることが、むしろ不思議である。

副業ミュージシャンという生き方 [2014年4月9日(水)]

 音楽学校を卒業した直後の僕は、専業ミュージシャンになりたいと思っていた。
 しかし結果的に、僕はいつも何かしらの仕事を持ち、副業的に音楽活動を続けてきた。

 いや、音楽はほとんどお金にならないから、
「あなたの場合、音楽は趣味でしょう」と言われても仕方がないが、自分の意識としては本業があって音楽は副業という位置づけだった。
 音楽を本業にすることはできなかったが、音楽以外に本業があったから音楽の機材も買えたし楽器も買えた。
 もしも音楽だけで生きて行こうとしていたら、逆に音楽を続けられなかっただろう。

 最近、小説家の朝井リョウさん(『桐島、部活やめるってよ』の作者)が、会社員をやりながら小説を書いていることを知った。
 彼もいわば「副業作家」ということになるわけで、「仲間発見」と、ちょっと嬉しかった。
 彼ほどのレベルなら専業作家も可能だと思うが、小説の世界も不安定だから、むしろ「副業作家」の方が息長く活動できるのかもしれない。

 僕は長く「副業ミュージシャン」であることに負い目を感じていたが、最近は、この生き方がベストだったのではないかと思い直すようになっている。
 今年から僕は「音楽起業」に挑戦しているが、やっぱり音楽はお金にならない。おそらく、これから先も副業ミュージシャンとしての活動が続くのだろう。
 ま、それでもいいんじゃないかな。

フィナーレで楽譜づくり開始 [2014年4月8日(火)]

 昨日からオリジナル曲の記譜を始めた。
 フィナーレというソフトを使っての作業である。パソコンはまだあまり使い慣れていないWindows7。
 昨日30分あまり、今日も30分あまりの作業だったが、2日で最初の練習曲の音符は書き終えた。あとは、運指の記号などを書き加えれば完成だ。

 ただ、まだ慣れないソフトで音符を並べて楽譜を作っていく作業には集中力が必要で疲れた。
 ...そして手が痺れてきた。

 ヤバイ。どうやらこの作業、首に負担がかかるようだ。
 僕は頚椎症なので、首に負担がかかると神経が圧迫されるらしく手が痺れてくるのである。どうやら集中し過ぎて姿勢が悪くなっていたようだ。

 オリジナル曲の記譜。やる前は大変な作業に思えていた。
 だから何年も前からやろうと思いつつ、実行できていなかった。
 しかし、こうして始めてみれば大した作業ではなかったし、やはり作品が形になるのは嬉しい。
 今日は楽譜をプリントアウトするための新しいプリンタも買ってきた。

 ものぐさな僕だが、音楽を作ったら、ちゃんと楽譜にして仕上げる。これを習慣にしたい。(笑)

今日できないことは一生できない [2014年4月7日(月)]

 毎日思うのは「1日はとても短い」ということ。
 本当に1日は短い。
 そして、短くも1日の価値は大きい。

 僕はよく、
「今日できなかったことは、もしかしたら一生できないかもしれない」と考える。
 実際にそうなのだろう。本当にやりたいこと、どうしてもやりたいことは、その一部でもいいから今日やらないといけない。

 僕は最近、「ギターのためのショートパッセージ」という、ほんの短いギター曲を創っている。
 今、シリーズ2曲目を創っているが、僕は曲を創るばかりで記譜をしない。
 かくして、世の中の誰も知らない曲が僕の頭の中にたまってゆく。

 すでに楽譜にしていない曲が何十曲も頭の中にたまっている。
 記譜しないうちに忘れてしまう曲もある。
「どうせ大した曲じゃないから」というのと「面倒だから」というのが、僕が記譜をしない理由だが、せっかく創ったのだから楽譜にしておいた方がいいし、演奏してYouTubeにも上げておけばさらに理想的だ。

 しかし、その作業を今日の「どこ」に組み込むか?
 とりあえず今日は、その作業を組み込める時間帯が「ない」のである。
「今日できない(やらない)」ってことは「一生できない(やらない)」かもしれないってことですよね? 
 ちょっとちょっと。それはヤバくないですか?(笑)

 こう考えると、1日をどう組み立てるか? がクリエイターにとって、とても重要であることがわかってくる。
 やりたいことをきちんと1日の中に組み込んで、できるだけクオリティの高い毎日を積み重ねていかないと。

 よし、決めた。とりあえず、今日は夜7時半から記譜の時間を取ることにします。はい。
 ...なんだ、やるべきことをやるのって、そんなに難しくないじゃん。

アイデアは実行してこそ価値がある [2014年4月6日(日)]

 僕には学歴もなく資格もないが、何とかこの歳まで自営業で生活することができた。
 なぜ、できたのか?
「おそらくは『アイデア』のおかげだったではないか」と思う。

 しかし僕は奇抜な、あるいは卓越したアイデアを出したわけではない。

「株式投資を教える教室がないから、教室を開けば需要があるのではないか(2000年頃のアイデア)」
「株価のチャート(グラフ)を表示したり、各種の分析ができるソフトには使いやすいものがない。いいものを作れば売れるのではないか(これも2000年頃のアイデア)」

 出てきたのは、こういった、ありきたりのアイデアだった。

 しかし、僕はそのアイデアを実行に移した。もしかしたら、同じ時期に僕と同じことを考えていた人がいるかもしれないが、実行したのは(僕の知る限り)僕だけだった。

 アイデアを実行に移すことができたのは、僕の中に、
「自分は証券会社に勤務した経験もないし、大学の経済学部を出たわけでもない。知識が足りないから株の教室なんて無理だ」とか、
「株のソフトを作っても、もしも売れなかったら大赤字だ」
 といった否定的な感覚がなかったからだと思う。

 僕は「恐れる」ことも「ためらう」こともなく、アイデアを実行に移した。
 やがて、それぞれのアイデアは形(商品、サービス)になり、僕に生活の糧を与えてくれた。

 たとえばアマゾンだって単なる「ネット書店」である。アイデア自体は大したことがない。
 しかし、それを高いレベルで実現したから世界企業として大成功しているわけだ。

 ビジネスにおいて、おそらく「アイデア」そのものは、ありきたりのものでかまわない。問題は、やるか、やらないか。実行力が問われるのだと思う。
 アイデアを実行し、アイデアを具体的な形にしてはじめて、アイデアは価値を生むのだから。

大不況の足音 [2014年4月5日(土)]

 消費増税後の日本は悲惨だ。
 買い物に出てみるとわかるが、5%→8%、つまり3%の値上げどころの騒ぎではない。
 増税を機に値上げされた商品が多い。実際にはトータルで15%近い値上げになっているのではないか。もちろん、この15%というのは、あくまでも体感的な数字だが、とにかくモノが高くなった。

 テレビのニュースで見たのは、税込500円だった弁当が税込700円に値上がりした例だ。
 材料が消費税分高くなったから、もう値上げしないとやっていけない。だから、やむを得ず値上げしたのだと業者は言う。
 消費者は「便乗値上げだ」と憤慨し、より安い商品を求めてほかの店に移る。

 今、日本全国でこうした「必死の戦い」が繰り広げられている。
 これは「生きるため」の戦いと言ってもよい。過酷で悲惨な戦いだ。

 過去、消費税が上がるたびに日本の景気は確実に悪くなった。それがわかっていて、なんと近々10%にまで消費税を上げるのである。最終目標は20%なのだそうだ。呆れてものが言えない。

 このあと訪れるのは、とんでもない大不況。
 たかが3%、5%の増税だから大丈夫。まだまだ国民から搾り取れると考えている役人達は、自分のサイフがパンパンだから(国民から、あるいは企業から巻き上げたカネで)、庶民の苦しさなどわからない。
 かくして日本は、どんどんダメになっていく。

リミットを外せ [2014年4月4日(金)]

 誰もがいろいろな「リミット(制限)」の中で生きている。
 しかし、その「制限」を絶対視してしまったら行動を起こすことができなくなる。

・オレは田舎に住んでいるから○○できない。
・オレは頭が悪いから○○できない。
・オレは学歴(あるいは資格)がないから○○できない。
・オレは能力(あるいは体力)がないから○○できない。
・オレはお金がないから○○できない。

 ...などなど。

 僕は、自分の仕事や趣味について考えるとき、まずこうした「リミット(制限)」を外すことが大切だと思っている。

 たとえば僕は今、岐阜に住んでいる。日本の全人口のおよそ3分の1が集まる東京圏(東京、神奈川、埼玉、千葉、茨城、栃木、群馬)からは遠く離れていて、何かと不利だ。
 仕事や趣味を発展させようと考えたとき、これは地理的な大きな制限に違いないが、このハンディを「ないもの」と考えるのだ。
 また、僕は54歳で体力もないが、これもとりあえず考えないでおく。

 こうした制限を外した上で、まず「自分は何がやりたいか?」を考える。
 田舎に住んでいるとか、頭が悪いとか、学歴、資格、能力、お金がないなどの制限を考えずに、

・オレは○○したい!

 と、やりたいこと、純粋に実現したいことだけにフォーカスしてみるのだ。

「制限」については2つの方法で克服できる。
 1つは正面突破で克服する方法。もう1つは、代替案で克服する方法だ。

 たとえば田舎で不利だと思うなら都会に出る。これが正面突破。
 田舎にいながらも、ネットを使って積極的にコミュニケーションするようにする、というのが代替案になる。

 現実や制限をふまえて「自分には何ができそうか?」を考えるのではなく、現実や制限を無視して、あくまでも「やりたいこと」を考える。
 そして、実現のための方法を考え、できることから実行に移してゆく。
 僕は、こんな感覚を大切にしたいと思っている。

Webサービスを創る [2014年4月3日(木)]

 僕の好きな創作の分野の1つに、仕事を創ること(=起業)がある。
 今、自分自身がやりたいと考えている起業の分野はWebサービスだ。新しいWebサービスを創りたいのである。

 世の中には、すでにいろんなWebサービスがあって、この分野はもう「出尽くした」ように見えるかもしれない。
 しかし僕には、まったくそうは感じられない。まだまだ新しいWebサービスを開発する余地があるように思えてならない。
 国民の多くがスマホという名の「小型PC」を持ち歩く時代になっている今、Webサービスの可能性は無限大に広がっている。
 むしろこれからがWebサービスの「本番」ではないか。

 今まで僕は、株のチャートソフトや株の自動売買ソフトを開発して販売してきた。これらはPC向けのソフトであり、Webサービスではなかった。
 僕は、このあとの人生で、最低1つでいいから画期的なWebサービスを創り出したいと思っている。

 今、僕の頭の中には、あるWebサービスの具体的な構想がある。
 これはもう何年も前から頭の中にあったアイデアだ。
 まずは、今あたためているアイデアをしっかり形にしたいと思っている。

生き返った愛器 [2014年4月2日(水)]

 僕の持っているギターの中で、僕が最も長時間弾いたのは、スペイン製の「ホセ・ラミレス」という楽器だ。
 この楽器、弾きすぎてフレット(ギターのネックに打ち込んである音程を決める金具)が減ってしまい、音楽学校の学生時代にフレットを打ち替える修理をした。

 しかしその際、指板(フィンガーボード、左手で押さえる部分)を削られてしまったため、その分、弦の高さが高くなり、とんでもなく弾きづらくなってしまった。
 この修理のあと、僕はしだいにラミレスを弾かなくなってしまった。

「この楽器はもう寿命なんだ」と考えて処分しようとも思ったラミレスだが、知り合いの長崎さんのギター工房に送って診てもらうことにした。

 診断の結果「指板を取り替えればなんとかなりそうだ」とのことだったので、指板交換の「手術」をお願いしたのだが、まさか、指板だけ交換できるなんて、思いもよらなかった。

 ギターを送ってから1ヶ月ほど経った今日、僕の愛器「ホセ・ラミレス」が、手術を終えて帰ってきた。
 さっそく弾いてみたのだが、とても弾きやすい。まるで新品の弾き心地だ。さながら「死んだ楽器が生き返った」ようで驚いた。

 弾けなくなったギターが、また使えるようになったのだから、新しいギターを1本買ったようなもの。とても嬉しく、どうしてもお礼が言いたくなって静岡の長崎さんのギター工房に電話してしまった。

 蘇生したホセ・ラミレスは音量が大きいので、練習に使うとやや「うるさい」が、独特の甘い音色が魅力的だ。
 もう少し練習が進んだら、この楽器を使ってオリジナル曲の演奏動画を撮り、YouTubeに上げたいと思っている。

自分の人生を生きる [2014年4月1日(火)]

 つい最近まで、「僕は長男だから、この岐阜の田舎の家にずっととどまって親のケアをし続けなければならない」と頑なに思い込んでいた。
 僕は今54歳だが、この54年間この感覚(僕はここ=岐阜にいなければならない)が常に僕の基本にあったと言っていい。

 しかしふと気づけば僕ももうすぐ55歳。
 幸いまだ体に深刻な故障はないものの、去年の暮れからは頚椎症を患い、少し疲れるとすぐに腕が痺れるような状態だ。好きなギターの練習もままならない。

 こんな状況の中、僕はようやく現実に気づいた。人生は有限であり、僕もマトモに活動できるのはあと5年ぐらいではないか、という年齢まで来てしまっていることに。

 僕にはまだ年老いた親がいる。しかし、このまま「家のため」「親のため」などと考えていたら、自分の人生が終わってしまうのである。
 もうこれ以上、家のための人生、親のための人生、つまり「他人のための人生=自分の人生ではない人生」を生きているヒマはない。

 そう考えて僕は自分の人生をリセットした。
 遅ればせながら、このあとは自分の人生を生きようと決めた。

 今、僕がやりたいことは、
1:音楽やライブといった創作活動と表現活動。
2:自らの新たな起業、起業家の育成。
3:学校に行けない、就職できないといった人たちが、自分に合った方向を見つけるためのお手伝い。
 の3つである。
 ほかにも、いろいろあるのだが大きいのはこの3つだ。

 どのような形で、これを実現して行くかを考えているわけだが、最近は、とりあえず東京に行ってみてはどうか、といった感じで、漠然と東京に憧れている。