ラジオヤジの投資情報と日記

ラジオヤジの投資情報と日記

ラジオヤジの投資情報サイトです。ラジオヤジの日記も公開します。

明日の投資チャンス ── By ラジオヤジ

投資情報は、毎日夜7時頃を目標に更新します。
更新が遅れる日や、更新できない日もあると思いますが、ご了承ください。

このサイトをスマホでご覧になる場合は、スマホを横向きにすると見やすいかもしれません。文字が読みづらいな、と思われたらお試しください。

【PR】使いやすい見やすい、チャートソフト「チャート力学22」
ラジオヤジが開発した、ロングセラー、チャートソフト「チャート力学22」。
詳細&購入は、こちら(https://rikigaku22.com/)から。電話、メール、Line、遠隔操作など徹底サポートで、ご購入後も安心してお使いいただけます。
※11月に良い状態の再生ノートパソコンが入りますと、業者さんから連絡がありました(10/24)。

■来週の投資チャンス ── 23/10/27(金)

 来週(10/30~11/2)の投資チャンスは、動画にしました。動画をご覧ください。

【PR】使いやすい見やすい、チャートソフト「チャート力学22」
ラジオヤジが開発した、ロングセラー、チャートソフト「チャート力学22」。
詳細&購入は、こちら(https://rikigaku22.com/)から。電話、メール、Line、遠隔操作など徹底サポートで、ご購入後も安心してお使いいただけます。
※11月に良い状態の再生ノートパソコンが入りますと、業者さんから連絡がありました(10/24)。

お便り(メール)お待ちしています

ラジオヤジへのメールは
mh@radioyazi.com
まで、お送りください。皆様からのお便りは、今後のYouTube活動のヒントとさせていただきます。
まもなく、このサイトに投稿フォームを設置します。

ラジオヤジの日記

■23/10/27(土)の日記

活動再開

 昨日から、動画投稿活動を再開しました。
 4ヵ月休んでみて、やはり、活動と休息のバランスというか、アウトプットとインプットのバランスというか、そこがとても大事で、偏ると、やっぱり楽しくないと感じました。
 まあ、ある意味、ぜいたくな話ですが、休んでばかりいると、こんどは、それがストレスになるんですね。
 今回、動画に復帰できたのは、その前段階で、学校に入ったことが大きかったと思います。
 その学校では毎週、文書作成の宿題が出るので、それを、こなさないといけません。長く休んで、体がラクをすることに慣れてしまっていた僕は、学校の宿題で、半ばムリヤリ創作脳をたたき起こされました。
 で、やってみると、その「宿題の創作」が、とても楽しかったんですね。気が付けば、夢中になって文章を書いている自分がいました。
 宿題には当然、提出期限、〆切があります。しかし、〆切があるからこそ、創作物が生まれるわけです。
 〆切がない生活では、結局、何も生み出せないまま、日々が過ぎてしまう。時間が指の間から、こぼれてしまう。やはり「〆切が必要」なんだと思いました。

メモ帳に書いたこと

 僕は、1回9kmほどのランニング&ウオーキングを、週に1.5回ほどの頻度でやるのですが、走りながら、歩きながら、頭に浮かんだことを「メモ」できるよう、メモ帳を用意しています。
 最近僕は、そのメモ帳に大きな字で、次のように記しました。
「〆切のないオッサンは、ただの人。クリエイターではない。」
 こんな経緯から、僕は、23年10月28日(土)までに動画を創るという〆切を自主的に設定し、それを守ったのです。

現代の創作のカタチ

 クリエイティブな作業は、一人では完結しません。少なくとも、作ったものを誰かに見てもらって、あるいは聴いてもらって、そこで創作が完結するのだと、僕は思っています。
 最近、NHKのドキュメンタリー番組で、北極圏に住み、トナカイを獲って暮らす狩猟民族が森の中で即興の歌を歌うシーンを見ました。こうした歌も、創作であり、その創作は、その人の中で完結する(あるいは森の神に捧げられることで完結する)のですが、誰にも伝わらないとなれば、それは僕がやりたい「創作活動」とは違う。
 SNSが進化した現代の創作活動は「対話」のようなものだと思います。創り手がいて、受け手がいて、双方が創作物を通して対話することで、創作活動が成り立つのではないでしょうか。

先はわからない

 創ったものを発表すれば、いろいろな反応があります。いろんな言葉が、まるでニコニコ動画の画面上を流れるコメントのように湧き出てくる。
 その反応に、いろいろな影響を受けながら、次を創る。創り続ける。そうした活動に喜びを見いだすのが現代のクリエイターである、ということになるのでしょう。
 この先、自分の創作活動が、どんな方向に向かうのか、創作を続けられるのか、まったくわかりません。とりあえず、やってみるしかありません。  

■23/10/26(木)の日記

もうすぐ公開します

 今日は、ずーっと、学校の宿題に集中していました。昨日の授業で出た宿題。提出期限は1週間後です。
 僕は、基本的にオンライン受講生なので、宿題を郵送で提出しなければなりません。そこで、郵便局に行って、どの方法を利用すれば一番早く確実に郵送ができるか聞いたり、その場合の郵送料を調べたり、封筒を買ったり、タックシールに宿題郵送用の住所を印刷したりと、忙しくしていました。
 9月までは、クロネコヤマトが、書類などの送付に使い勝手のよい「ネコポス」というサービスをやってくれていたのですが、これが実質、廃止になってしまったので、このあとは、郵便局の速達郵便を使う必要が出てきました。今日、調べた結果、同等のスピードを実現するための送料は、ほぼ2倍であるとわかりました。
 宿題は、もちろんデータで出すこともできるのですが、指定のフォーマットが「ワード」で作られていて、それが、とても使いづらいので、僕は、InDesignというレイアウト用のソフトで、自分用にフォーマットを作り直したのです。
 そもそも「ワード」は、レイアウトソフトではないので、やや複雑なレイアウトをやろうとすると「お手上げ」になってしまいます。
 世の中には、なんとエクセルでで文書のレイアウトをしている人もいて、その努力は、無謀ながらも、すごいと思いますが(笑)、やはり、しっかりしたレイアウトをしたいのであれば、素直にレイアウトソフト(DTPソフト)を使うのがベストです。
 InDesignは、雑誌や書籍を作るのに使われている、プロ用のDTPソフトなので、できないレイアウトは、ありません。
 書籍でも広告でも雑誌でも、なんでも作成できます。
 僕は、このソフトで、ちょっとレイアウトが複雑な文書を作成しています。
 おっと、「自分には関係ない話」と思わないでくださいね。(笑)
 実は、今回作った文書は、そのまま動画にもする予定にしているからです。
 もう間もなく、僕が、いったい何を学んでいて、どんな文書を作っているのか、公開します。

■23/10/25(水)の日記

なかなか見えない富士山に会うコツ

「富士山大好き」が高じて、とうとう静岡にセカンドハウスを持ってしまった僕ですが、実は富士山、なかなか、お出ましになりません。
 特に6月~9月は、ほぼ終日お隠れになっていて、そのお姿をお見せにならないのです。
 そんな気難しい富士山サマに会うために、僕が頼りにしているサイトがあります。それは「富士見予報」。
「富士見予報」は、富士山の見える確率を表す「富士見指数」を確認できるサイトです。富士見指数は1~10で表され、10に近づくほど、よく見えるという意味になります。富士見指数が1だったら、富士山は、ほぼ見えない。富士見指数が10なら、ほぼ確実に見えるということですね。
 以前は、静岡側からの富士見指数だけが掲載されていましたが、最近、「山梨側」からの富士見指数も掲載されるようになり、サイトの利便性が高まりました。
 富士山は、おおむね、静岡側からより山梨側からの方が、よく見えます。静岡側からの富士見指数が、午前=3、午後=5でも、山梨側からの富士見指数は、午前=10、午後=10であることは珍しくありません。
 ですから、静岡側から富士山を見に行って、富士市あたり(静岡側)で「見えないじゃん!」となったとき、そこで、あきらめず、少しクルマを走らせて山梨側(山中湖方面)に回り込めば、「お! 見えた! 富士山に会えた!」となる場合があるのです。
 あるいは、富士市で「富士山が見えない」という場合、山梨方向ではなく、富士宮(ふじのみや)方面に1時間ほど走って精進湖(しょうじこ)あたりまで行っても、素晴らしい富士を拝める場合があります。
 最近、僕にも、こんな経験がありました。
 ── 富士市で富士山が見えないので、がんばって精進湖に向かって走ってみた。しかし途中、空全体が雲に覆われて雨がパラついている。これは無理だろう、戻ろうかとも思ったが、とりあえず精進湖まで行ってみた。そしたら、なんと! 急に雲が動いて富士山が見えた!
 見えなかったら場所を変えてみる。これが、富士山に会うコツです。

アテにならない富士見指数

 富士山の周辺には雲が発生しやすく、雲の状態は秒速で変化します。3分前まで見えていた富士山が、アッと言う間に見えなくなる。そんなことが、よくあります。
 ですから、「あとで写真、撮ればいいか」はダメ。富士山の写真は、今すぐに撮らないと、シャッターチャンスを逃します。
「富士見予報」も、こうした雲の変化には、なかなか対応できないようで、「それほど富士見指数が高くないのに(3~4)、美しい富士山を見ることができた」という日がありました。
 逆に「富士見指数が10(満点)だったのに、ほとんど富士山が見えなかった」ということも、よくありました。
 最近では、(23年)10月22日(日)がそうでした。この日は、静岡側からの富士見指数も、山梨側からの富士見指数も、午前、午後ともに10。満点でした。絶好の富士見日和の「はず」だったのです。
 この日、僕は、「富士山ぐるり一周」を計画していて、よっしゃ! いい写真や動画が撮れるぞ! と期待していました。
 ところが、この日の富士山は、お隠れタイムが長く、山梨側から静岡側まで富士山の周辺を一周したにもかかわらず、富士山は、あまりお姿を見せてくれませんでした。体感的な富士見指数は3~4ぐらいだったでしょうか。期待していただけに失望感が大きく、テンション、だだ下がりでした。
 こうした経緯から、僕は「もう富士見指数は見ない方がいいのでは」と思うようになりました。富士山に会えたらラッキーなんだ。富士見指数10で、安易に期待してはいけない、と。
 そもそも、なかなかお姿を現してくれないからこそ、富士山は貴重なのです。簡単に見ることができないからこそ、その勇姿を拝めたとき「おお、なんと尊いお姿だろうか!」と感動できるのです。
 10月22日(日)はダメでしたが、翌23日(月)の富士山は、素晴らしかったです。
 僕は、これからも一生かけて、僕は富士山の「おっかけ」をやろうと思っています。

■23/10/24(火)の日記

 今日は、ちょっと集中してやりたいことがあるので、日記をお休みします。
 何をしてるか? と言えば、久しぶりに、インデザインというレイアウトソフト(DTPソフト)を動かして、キレイにレイアウトした文書を作っています。
 何の文書か? と言えば、10月から、学んでいる「学校」の宿題を提出するための文書作成です。
 何の学校か? えーと、それは秘密です。(笑)
 当ててみてください。

■23/10/21(土)の日記

なぜYouTubeに復帰しないのか?

 メインチャンネルの最後の動画で、僕は、8月にはYouTubeに復帰しようと思っている、と言いました。
 しかし、10月下旬になっても、僕はYouTubeに復帰していません。それどころか、実は今、10/10(火)から始めた、このWebページの更新も、「やっぱり、ちょっと、しんどいな」と感じているところです。
 そろそろ、このあたりの事情を、しっかり説明しておかないと、いけないでしょう。

僕がYouTubeを休止した理由

 まず、僕がなぜYouTubeを休止したのか。これが、うまく伝わっているかどうか、わからないのですが、主たる原因は「投資系の動画を出すことに疲れてしまったから」です。
 2022年に、僕はFXで1,350万円の損失を出しました。税引き後の、きれいなお金、1,350万円を失った。これを、ビジネスで取り戻すためには、税金など考慮すれば、おそらく2,500万円ぐらい稼がないといけません。もう、取り戻すことは、ほぼ不可能な金額です。
 投資で取り戻すのであれば、1,500万円ぐらいの利益を出せばOKでしょうが、…正直に書きます。
 2022年に大きな損失を出して以来、僕は投資に向かうことが、できなくなってしまったのです。そして、今もその状態が続いています。2023年、1月1日から今日まで、僕は1度もトレードをしていません。
 動画でお話ししているように、10年か20年にに1回レベルの「大暴落」が来ればNYダウか、日経を買おうとは思っています。しかし、そんな暴落は、めったにあるものではないし、こと株式市場について言えば、政府が投資を推しているわけですから、当分の間、株価は、まずまず堅調に推移するでしょう。大災害とか戦争のような、よほど大きな悪材料が出ない限り、それほど大きく下がるはずはないのです。
 そもそも、そんな悪材料は出て欲しくありません。

投資に必勝法はあるのか?

 FXや225先物の、小刻みな投資で取り返すことも不可能ではないと思います。たとえば、この文章を書いている今、日経225先物は、31,000円スレスレのレベルまで下げている。シグナルラインは30,600円ですが、以前の僕だったら、今の水準で間違いなく日経平均を買っています。積極的に数多くの売買を重ねて、少しずつ利益を積み重ねて行く手法です。
 しかし、こうしたトレードは苦しいのです。なかなか、すんなりと利益を確定することはできません。評価損を抱え、ナンピンを重ねながらプラスで終えられるチャンスを待ち続けるトレードになることが多いのです。
 日経225オプションなら大丈夫という声がありました。でも、僕はそれを信じません。どんな手法であれ、投資はすべてハイリスクです。オプションについて言えば、がんばれば、勝率99%になるかもしれない。しかし、1%の負けで破産すると、僕は思っています。

投資はバクチでしかない

 20年ほど投資をやってみて思うこと。それは「投資はバクチでしかない」ということです。
「いやいや、投資で買っている人は、ごまんといる。おまえに能力がないから勝てないのだ」と、よくアンチコメントなどで叩かれますが、負け惜しみでも何でもなく、僕は「投資で勝った人は、単に運が良かっただけだ」と確信しています。
 その不確実な投資(バクチ)の世界で巨額の損失を出した僕は、もう同じ失敗をくり返したくない、と強く思うのです。いえ「思う」のではなく、投資の恐怖は、完全に体に染み込んでしまい、強いトラウマと化しています。
 世の中には、投資で勝つ方法が流布しており、投資の成功者が祭り上げられます。しかしそれらは、マスコミが面白おかしく取り上げているだけ。あるいは、マネー雑誌や証券会社が、自らの利益のため、宣伝に使っているだけです。
 僕は、投資の必勝法はおろか、高い勝率を保つ方法すら「ない」と確信していますし、僕は、いわゆる「成功した投資家」に対して、みじんも尊敬の念などわかない。彼らを、すごいとも何とも思わないのです。
 だって、彼らの成功法には再現性がないでしょう? それは明らかです。もしも再現性があるのなら、投資で成功した人の手法を真似た人達が、次から次へと成功するはずですが、そうなってはいない。実際は、投資で財をなす人より、投資で破産したり、大損して人生設計が狂う人の方が、はるかに多いのです。
 だから僕は、「投資など、やらない方がいい」と、くり返し、くり返し、話しているわけです。

政府が投資を推進するなど、あってはならない

 もちろん、投資のすべてが悪いわけではありません。エンタメ(楽しみ)としての投資は、あっていいと思います。投資ほど面白いものはありませんから。
 どんな娯楽より投資は面白い。なぜ面白いのか。それは投資がバクチだからです。
 バクチは法律で禁じられています。バクチは面白すぎるから、ギャンブル依存になる。身を持ち崩す人、破産する人が後を絶たないから禁じられるのです。
 しかし今なんと、政府が投資を推進しています。これほど、おかしな話はないのですが、政府がバクチを正当化し、バクチをやれと推進している。
 しかし、いくら政府が推進しようとも、投資がバクチであることに、変わりはありません。
 くり返し書きますが、投資(バクチ)ほど楽しいものはありません。投資(バクチ)という娯楽を生きがいにしている人も多いのです。
 だから、適度に楽しむのであれば、それは許されるでしょう。しかし、投資が恐ろしいのは「適度では、すまなくなる」からです。
 しだいに投資金額が増え、気づくと、途方もない損失を抱えている。投資がエスカレートするのを、コントロールできない。それが投資の恐ろしいところです。
 政府は、こうした投資の問題点を知ってか知らずか、新しいNISAなど提供して、投資の恐さを知らない人達を無責任に投資の世界に誘っています。あってはならないことです。
 自分が投資の動画をやることは、こういうおかしな風潮に加担するような気がするのです。こうして、投資情報を出すことも、自分の思いとは完全に矛盾します。
 こうした思いがあって、なかなか、以前のような投資の動画を出す(再開する)気になれないのです。
 …この話は、まだまだ続き、他にもいろいろな思いや悩みがあるのですが、今日は、この辺で。

■23/10/20(金)の日記

昼飯町ってどう読むの?

 昨日のクイズの正解です。
 岐阜県大垣市昼飯町の「昼飯町」の読みですが、「ひるいちょう」と読みます。
 正解された方は、いらっしゃいましたでしょうか。
「そんなの、わかるわけないよ」ですよね。(笑)
 僕は毎日、新聞を隅々までチェックしているのですが、ある日、ローカル新聞の記事中に、この町名がありました。
 僕は、新聞をできるだけ音読するようにしていて、最初「ひるめしちょう」と読んだのですが、「むむ? 違うよね?」と思って調べたところ昼飯町(ひるいちょう)と判明しました。
 地名や人名は、本当に、やっかいですよね。自分が住んでいる岐阜県の地名なのに、読めない地名が、ほかにもたくさんあります。
 例えば、岐阜県羽島市足近町は、ぎふけん、はしまし、あじかちょう。
 岐阜県岐阜市茜部は、ぎふけん、ぎふし、あかなべ、です。
 全国には、いったい、どれほどの「難読地名」があるのでしょうか。想像もつきません。

■23/10/19(木)の日記

秦雄太郎さん、ふたたび

 10月16日の日記に、週刊誌の記事に出てきた「秦雄太郎さん」という方のお名前の「読み」がわからない、と書きました。
 その後、読者さんから、「もしかしたら、こう読むのでは?」というヒントを頂きました。
 僕は、秦雄太郎さんは、「はたお たろう」さん、ではないかと推測したのですが、読者さんは、そうではなく、「はた ゆうたろう」さん、ではないか、と。
 ありがとうございます。なるほど、おそらく、この読み方が正解ですよね。(笑) しっくり来ます。
 僕は、秦雄さんが名字だと思ったのですが、いかにも不自然です。「秦(はた)」さんは、たくさんおられるようですから、秦雄太郎さんは「はた ゆうたろう」さんということで、一件落着とします。
 秦雄太郎さんは、長野県飯田市で公務員をされている方で、広報担当のようなお立場なのか、よくマスコミに登場されます。
 僕は、週刊現代に掲載されていた「長野県飯田市(いいだし)は焼き肉のメッカだ」という記事の中で、秦さんを、お見かけしました。
 実は僕の住んでいる場所から「長野県飯田市」までは、高速を使えば30分ちょいかな、といった近距離なのですが、焼き肉で有名とは、まったく知りませんでした。
 さて、ここで「クイズ」です。
 飯田市(いいだし)の「飯」という字は、「めし」と読みますし、ご飯の「はん」です。これはご存知ですよね。
 では、「昼飯町」は、何と読むでしょうか?
 わが岐阜県には、岐阜県大垣市昼飯町という場所(地名)があります。この、岐阜県大垣市(おおがきし)にある、昼飯町という地名の読み方、おわかりでしょうか?
 ちなみに「ひるめしちょう」「ひるめしまち」ではありません。(笑)
 この、思わず「ここで、お昼ご飯を食べたい」と思ってしまう、「昼飯町」の読み方が問題です。
 正解は、明日発表します。グーグル検索なしで読めたらすごい!

■23/10/18(水)の日記

国民をいじめるな

 64歳になったので、とりあえず年金をもらう手続きをしていますが、やれ住民票を取ってこい、戸籍謄本も必要だなどと、結構「やっかい」です。
 年金をもらう歳になって迷うのは、いわゆる「繰り下げ受給」をどうするかです。年金をもらい始める年齢を遅らせることによって、もらえる金額が増えるという、あのインチキ臭いしくみを使うかどうか、ですね。
 64歳の誕生日前に送られてきた、年金請求の「マニュアル」にも、「年金をもらうのを遅らせれば、もらえる金額が増えますよ」と、大きく大きく書いてあります、しかし、こんなのは「ワナ」に違いないと僕は思っています。
 要するに政府は、長期間、年金を払った国民が、年金を支給する前に死ねば最高だ、と考えているわけですね。
 鬼! 悪魔! 吸血鬼! と叫びたくなりますよね。いや、鬼や悪魔の方が、まだ優しいのではないでしょうか。
 年金を払ってくれてありがとう。年金を払う前に死んでくれてありがとう、ってか? おい! 国! おい!
 この「繰り下げ受給」、あまり人気がないようで、僕の知り合い達も口を揃えて、
「繰り下げ受給? そんなもの、するわけがないよ。年金なんて、いつまでもらえるのか、わからないんだから、もらえるうちにもらっておくのが、いいに決まってる」と言っています。
 さて、僕はと言えば、実は、繰り下げ受給を検討しています。
 それは、僕の基本姿勢が「ずっと働きたい」なので(仕事=YouTubeです。たぶん)、働いて、収入が一定の水準を越えた場合、年金が、もらえなくなる可能性があるからです。いえ、もらえないどころか、さらに厚生年金を払い続けなければなりません。
 年金が、もらえないのは、まだわかるけど、65歳を超えてからも年金を払わされるなんて、ひどいと思いませんか?
 おい、かんべんしてくれよ。国! 鬼! 悪魔! 吸血鬼! 地獄の料理人! …まだ言い足りない。あと、何かなかったかな、悪の象徴。
 …というわけで、僕は、お役所に相談したり、専門家に相談したりして、よーく考えた上で、年金受給の請求をするかどうか最終判断したいと思っています。(なにかヒントや知恵など、ありましたら mh@radioyazi.com にメールください。)
 国の制度は、とにかく「働いたら損だよ。働かない方がいいよ」という形になっています。年を取ってからも働こうという人を優遇するどころか、「おまえには年金を払わないぞ。それどころか、さらに徴収するぞ」と、いじめるんですね。畜生! あ、これがあった。こん畜生め!
 それでも僕は、バカみたいかもしれないけど、まだ働こうと思っています。その理由は、また近々、詳しく書きますね。

■23/10/17(火)の日記

週刊現代と週刊ポスト

 週刊現代と週刊ポスト。いわゆる男性週刊誌ですね。僕は20代の頃から、気になる記事があれば買って読んでいました。今も、この2誌は、電子書籍で読んでいます。
 僕が若い頃には「若者向け?」の記事もあったのですが、近年、この2誌が想定している読者層は、70代、80代あたり。雑誌の廃刊が相次ぎ、存続が大変な時代を、読者の加齢に記事を合わせることで生き延びてきたわけです。
 そんなわけで「終活アドバイス」的な記事が多い。老後の資金をどうするか? どんな介護が理想か? 病気の予防や治療法は? お墓はどうするか? こうした「しぶい」テーマが多いので、64歳の僕が読むと、「まだ、ちょっと早いかな」と、違和感があります。当然、50代、40代の人が手に取っても「読みたい記事は、ほとんどない」ということに、なるでしょう。
 この2誌の値段は、昔は300円~400円ぐらいのイメージでしたが、今は600円ほど。たっかい!
 しかし、値段が上がっても、おそらく高齢の読者さんたちは、書店で紙の週刊誌を買ってくれるのでしょう。
 記事の内容が高齢化する中、昔と変わらないページもあります。それは、巻頭、巻末のグラビア。今でも、美女の水着やヌードが、毎号必ず掲載されています。男性は、何歳になっても、妖艶な美女の姿を見たいものなのですね。
 ただ、モデルさんの年齢は、やはり年とともにスライドしており、最近では60代女性(かつてのアイドル)の水着姿が、グラビアページを飾っておりました。
 うーん、あと10年後のグラビアページは、どんなことになっているのでしょうかね?(笑)

■23/10/16(月)の日記

音読の壁

 今年(2023年)の6月頃だったでしょうか。僕は村上春樹氏の新作『街とその不確かな壁』の全編を朗読しました。
 それをきっかけに、「音読」が習慣になり、以後、新聞や雑誌も、僕は、できるだけ「音読」するようにしています。
 ただ、音読するときに困るのが、難読地名や、難読人名に出会ったとき、地名や人名に「ふりがな」がないと、何と読むか、わからず、そこで音読がストップしてしまうんですね。
 これを僕は「音読の壁」と読んでいます。

あなたは読めますか? ── 秦雄太郎 さん

 今日も、週刊誌(週間現代)の記事を読んでいたら、秦雄太郎さんという人名が出現。その瞬間「どすん」とばかり、僕は「音読の壁」に、ぶち当たりました。
「うわ、来た。これ読めないよ」という、恐怖の「人名、読めない状態」です。
 もちろん、お名前の「太郎(さん)」は読めますとも。
 問題は、御名字の「秦雄」さん。なんだか、名前が二つ連なったようなお名前なのですが、この名字が読めない。
 あなたは、お読みになれますか?
 僕は、「たはー」っとため息をついて、文字を見つめます。調べるしかない…。
「秦雄」の「雄」は、なんとかなりそうですが、問題は「秦」の字。
 うーん、この字、どこかで見覚えがあります。そうだ、京都に「うずまさ」という場所があり、その地名に、この文字が使われていたのでは? と、頼りない記憶を頼りに、グーグルで検索。
「うずまさ」と入力して漢字変換すると、太秦という地名が出てきました。やっぱり。
 しかし、これまた、難読地名ですよね。なんで太が「うず」なのかな。まあ、いいとして、…ってことは、この「秦」という字は、「まさ」と読めばいいのか? と思いつつ、さらに調べると、どうやら「まさ」ではなく「はた」と読むが正解らしいことが、わかりました。
 そうか、「はた」なんだ、とつぶやきつつ、ネット上の人名辞典で「秦雄」さんを検索するも、該当なし。こうなるともう、調べる術がありません。
 しかたがないから、「秦雄=はたお」さんなのだろうと推測し、調査終了としますが、せっかく調べたのに、労力を費やしたのに、まるで納得感、解決感がない。(笑) 正解が分からないのだから当然ですね。 まあ、出版社に電話すれば、わかるかもしれませんが、それも迷惑な話だし。
 結局、諦めて、秦雄太郎さん=はたおたろうさん、と読むことにして、音読を進めましたが、そこはかとない欲求不満が残るのでした。

「ふりがな、ください」運動、始めます

 この「音読の壁」は、毎日かならず、僕の前に立ちはだかります。もう、いい加減、調べるのも嫌になりました。
 だいたい人名、地名の読み方ほど、適当なものはないからです。調べて、正しい読み方がわかったとしても、別に、漢字の読解力が上がるわけでは、ありませんから。
 最近の「キラキラネーム」と呼ばれる人名もすごい。例えば「心桜」と書いて「えみか」ちゃん(なんで?)、「凜空」と書いて「りく」くん(こちらは、まだ何とかなる?)、とか。こうしたお名前は、もう難読を通り越して芸術作品ですよね。(笑)
 うーん。どうしよう。考えたあげく、…そうだ! 出版社や新聞社に、「記事中の、人名、地名には、ふりがなを振ってください!」とお願いする「運動」をやったら、いいじゃないか、と思い付きました。
 名付けて、「ふりがな、ください」運動。
 2~3年、「ふりがな、ください」運動を続ければ、雑誌社、新聞社が、人名、地名に、今よりは「ふりがな」を振ってくれる可能性が高くなるのでは、と。
 というわけで、この運動を実行に移そうと、僕は furiganakudasai.com というドメインを取得しました。「ふりがな、ください、ドットコム」ですね。
 これから、このドメイン名でサイトを立ち上げて、「ふりがな、ください」運動を始めたいと思います。(笑)
 具体的に、どう進めたらいいのかは、まだ、さっぱり白紙です。
 もしも、ヒントやアイデアがありましたら mh@radioyazi.com あて、メールでお知らせいただければ幸いです。

■23/10/13(金)の日記

動画やれば?

 今週から、このサイトで投資情報を出しているのですが、サイト作成に、かなり時間がかかっています。
 今日はデータの処理なども含め、3時間以上の作業となりました。
 しかし、がんばってサイトを更新しても、今の時代、文章って読まれるんでしょうかね?
 どうせ3時間も作業するんだったら、その時間を使って動画やれば? という声が、どこかから聞こえてきます。(笑)
 確かに3時間あれば、動画1本、できますね。

しゃべらない生活

 動画を休んでいる時期、僕は無口です。ほとんど、しゃべりません。だって、しゃべる機会がありませんから。
 僕は、しゃべらないでいる期間が長くなると、どんどんメンタルが落ちて、暗~くなります。なんだか「火が消えた」ような感じになってくるのです。
 ときどき「ラジオヤジの動画がないとさびしい。辛い」というメールを頂きますが、しゃべらない生活を続けると僕自身も、かなり辛くなってきます。
 だったら動画やれば? という声が、また、どこかから聞こえてきますね。(笑)

常体か? 敬体か?

 投資情報の記述を「常体」にするか「敬体」にするかで、迷っていました。
 常体というのは「この銘柄の3,600円は高値圏だ」という、さっぱりした書き方。
 敬体というのは「この銘柄の3,600円は高値圏です」という、丁寧な書き方です。
 昨日までは、コーナーによって、「常体」と「敬体」を混ぜていましたが、「常体」の方がスピーディに書けるので、今日から、投資情報の記述を「常体」に統一することにしました。
 ただ、日記のコーナーまで「常体」にしてしまうと、ぶっきらぼうな印象になるので、こちら(日記)は、引き続き「敬体」で書きます。
 今日はデータ処理に時間がかかったので、日記が短くなりました。

■23/10/12(木)の日記

時間は伸縮する

 よく、自己啓発の本に、こんな記述があります。
「1日は24時間。これは等しくすべての人に与えられている。重要なのは、この24時間の使い方だ」
 …でも僕は「これ、違うんじゃないか」と思うのです。実感として。
 僕は、2023年の7月初頭から、YouTube活動を3ヵ月あまり休んでいるわけですが、超絶多忙だった21年頃と比べたら、お休み生活は「のんびり」もいいところ。
 その生活は僕が、「いつか、ゆっくり休みたい」と、切実に望んでいたものでした。
 そんな生活の中で気づいたこと。それは「1日の長さが半分ぐらいに、短くなってしまった」という時間感覚の変化です。
 21年頃、僕は毎日6本のYouTube動画を制作、アップしていました。
 その超絶多忙時代の僕の1日(=24時間)と、のんびり隠居生活(?)の1日(=24時間)の長さが、感覚的に明らかに違うんですね。
 実感としては、のんびり生活の24時間(1日)は、超絶多忙生活の24時間(1日)に比べて、半分ぐらいの長さしかないように感じるのです。
 まず、緊張感がないせいか、睡眠時間がどんどん長くなりました。超絶多忙時代は、4時間台の睡眠だったのに、最近は、7時間も眠ってしまうことが珍しくありません。これだけで、すでに1日が2時間近く短くなります。
 平均5時間睡眠だったとすると、以前は24時間ー5時間=19時間が、可処分時間だったのに、7時間寝てしまったら、可処分時間は24時間ー7時間=17時間です。
 さらに、以前は30分で済ませていた食事(昼食と夕食)に、1時間ぐらい、かけるようになりました。これでまた、1時間、可処分時間が減りますね。
 人間の時間感覚というのは、どうやら伸縮自在のようで、集中している1分は、ものすごーく長く感じるし、ぽけーっとしている1分は、逆にアッと言う間に過ぎてしまう。
 だから、残された可処分時間も、ぼんやりしていると、ものすごく短く感じる。僕は、
「超多忙時代の1日は、体感的に今の2倍はあったんじゃないか? こんな風に暇してたら、指の間から、ポロポロとこぼれるように時間が消えて行くじゃないか。貴重な時間がもったいないなあ」と、ため息をついていたのでした。

時間の神様がいる

 こんな経験から僕は、「どうやら、時間は伸縮自在のものらしい」と気づきました。
 そして、時間について考えていて、もう1つの気づきがありました。それは、
「そうか、時間の神様がいるんだ!」ということです。
 どうやら、この世には「時間の神様」がいるらしい。
 僕の思うに、時間の神様は、すべての人に24時間を平等に与えているわけではないのです。時間の神様は、暇な人から、こっそり時間を奪って、多忙な人に、その余った回している。(笑) そうに違いないのです。
 だから、ぼんやり暇してたら、時間の神様に時間を奪われる。
 逆に、何かに夢中になって、がんばっていたら、時間の神様から時間をもらうことができる。
 僕は今(23年10月現在)64歳で、健康寿命はあと10年ほどですが、その10年が、体感的に半分になってしまったら、健康寿命は5年だった、ということになります。
 逆に、何かに夢中になって、がんばっていれば、健康寿命の10年は体感的に2倍の20年になるだろう。5年と20年だから、その差は、なんと4倍。さらに、おそらくは、何かに夢中になることで、免疫力も上がって、健康寿命が延びるかももしれません。そうなったら、その差はもう4倍どころでは、ありません。
 こんな風に考えたとき、ただ無為に「のんびり」過ごすことは、とんでもない「ロス」かもしれないと、僕は思うようになりました。
 もちろん、以前の僕は、いくらなんでも「頑張りすぎていた」ように思います。あれだと「持続可能性」がありません。事実、僕は息切れしてしまいました。
 だから、もう少し調整して、持続性のある活動パターンを見つけ出すことが重要なのではないか。
 今、そんなことを、考えているところです。

■23/10/11(水)の日記

ラジオヤジ、学生になる?

 この10月から、僕は、ある「学校」に入学しました。半年間、週1回、授業を受けます。
 え? 何の学校に入ったのか? ですか? うーん、今のところ秘密です。でも、そのうち、この日記に書くかもしれません。…僕のことですから、おそらく書くでしょうね。あるいはYouTubeでしゃべるか。(笑)
 その学校の授業が今日からオンラインで始まり(東京で生の授業も受けます)、さらに今日は、将棋の藤井さんの対局が重なったのとで忙しく(実況中継が見たくて)、サイトの更新が遅れました。
 日記も、あまり書けませんでした。

藤井さん、8冠制覇

 将棋の藤井さんは、ついに前人未踏の8冠制覇を達成しました。前回同様、最初、思いっきり不利だった形勢を、終盤、一気に逆転する、劇的な勝利でした。
 僕(一手詰の「詰め将棋」を解くのに、問題によっては5分かかるレベル)が言うのもなんですが、すごいことだと思います。

■23/10/10(火)の日記

残された「健康寿命」は、あと何年?

 2023年7月の初頭からYouTubeを休んでいます。
 毎日かならず、視聴者さんから、
「早くYouTubeを再開してください」というメールやメッセージが届きます。
 これは、応援のメッセージであり、とてもありがたいことです。
 しかし、こういうメッセージをいただくと、僕はどうしても、
「再開を待っている皆さんを待たせては申し訳ない。皆さんの期待に応えなくては」という感覚が強くなります。
 この3ヵ月あまり、僕は、たくさんの本を読みながら考えているのですが、ある本に、
「誰かの期待に応えることを優先している人で、自分の人生を(自分が満足できる人生を)生きることができている人はいない」という記述がありました。
 つまり、人は、人の期待に応えるために生きるのではなく、自分の人生を生きるべきである、ということです。
 これは、言われるまでもなく、わかっていることですし、僕が強い影響を受けた「アドラー心理学」の教えでもあります。
 僕は、あらためて、「自分の人生を生きる」ということ、自分の存在意義や「貢献」ということを考え直してみるのですが、
「こうした問題って、結局、どれだけ考えてもわからないんじゃないの?」と思うんですすね。
 今まで、真面目に真剣に、こうした問題を考えて、たくさん文章を書いたりもしましたが、そんなことを考えているうちに、人生が終わってしまうのではないか、と思うわけです。
 僕は1959年に生まれ、この8月、64歳になりましたが、残された健康寿命は10年あるか、ないか。
・自分の人生を生きるとは?
・自分の存在意義とは何?
・自分が本当にやりたいことは何?
・生まれてきたからには、社会貢献は必須だよね?
 …といった、とりとめもないことを考えている暇は、僕にはもう「残されていない」と思うんですよね。

死ぬまでにやりたいこと VS 死ぬまでやりたいこと

 仕事をやりすぎて、しんどくなって休んだ僕ですが、2ヵ月、3ヵ月と休んでいたら、こんどは、休んでいることが苦しくなってきました。
 おいおい。仕事も辛い、休むのも辛いって、じゃ、どうしたらいいんだよって、自分にツッコミたくなります。なんとも、手に負えない、始末に負えない自分がいるわけですね。(笑)
 …で、少し活動してみようと思い、こうして、Webサイトを作りはじめた、というわけです。
  結局、人間、どこまで行っても「ないものねだり」的な感覚が捨てられないのでしょうし、パーフェクトな満足や幸せなんて、ないんですね。
 そもそも僕は、生粋のワーカホリックで、仕事大好き人間です。
 そんな僕が、仕事を休んでいると、どんどん火が消えたようになり、腐っていく。
 一日じゅう、ほとんど、しゃべることもなく黙っていると、自分にとって「しゃべること」が、どれほど重要かが、わかってくる。僕にとって「しゃべること」は、自分を活性化し、いろいろなヒントを得る手段であったのです。
 やっぱり、適度な活動が必要だし、目標を立てて、それをクリアしていく毎日こそが楽しいのではないか、と思うようになりました。
 目標についても考えました。よく、「死ぬまでにやりたいこと100のリスト」みたいな目標設定法が紹介されていたりしますが、これだと、100やりきったら、なくなってしまいます。
 それより、「死ぬまでに」の「に」を取って、「死ぬまでやりたいこと10のリスト」を見つけた方が、楽しいのではないか。死ぬまで、やり続けたい10のリストがあったら、夢中で生きられるのではないか、と考えました。
 そんな経緯があって、今日、10月10日から、とりあえず、Webサイトによる情報発信を始めることにしました。